故・高橋和希先生が描いた『遊☆戯☆王』は何がすごいのか 日本経済にも影響?
トレーディングカードゲーム(TCG)は、21世紀に根付いた日本文化のひとつといえます。単なるブームをコンテンツにまで押し上げたのが、故・高橋和希先生が描いたマンガ『遊戯王』でした。その誕生と歩みの軌跡を追ってみましょう。
TCGの歴史とともに歩んだ『遊☆戯☆王』
先日、お亡くなりになった漫画家の高橋和希先生。有名なマンガ『遊☆戯☆王』が代表作として知られていますが、アニメとなって大ブームとなった以上に、トレーディングカードゲーム(TCG)を日本の代表的なコンテンツとして成立、定着させたという功績は意外と語られていません。
TCGの元祖と呼ばれるのが、アメリカのウィザーズ・オブ・ザ・コースト社が1993年8月に発売した『マジック:ザ・ギャザリング』です。その人気は瞬(またた)く間に広がり、やがて日本にも上陸しました。そして、その影響から日本国内のメーカーもTCGの開発に着手します。
当時、日本国内でもトレーディングカード(以下トレカ)という名前が浸透し始め、折からの『新世紀エヴァンゲリオン』人気に乗ったトレカブームが始まっていたころでした。そして、初の本格的な国産TCGとして1996年10月に株式会社メディアファクトリー(当時)から『ポケットモンスターカードゲーム』(現在の『ポケモンカードゲーム』)、11月にはバンダイから『カードダスマスターズ スーパーロボット大戦 スクランブルギャザー』が発売されます。
ほぼ同時期に『マジック:ザ・ギャザリング』の日本語版の販売も開始されました。しかし、まだブームとは呼べず、販売店舗もそれほど多くはありません。この状況に大きな変化を与えたのが、『週刊少年ジャンプ』1996年42号から連載開始したマンガ『遊☆戯☆王』です。
当初の『遊☆戯☆王』は、さまざまなゲームが登場し、気弱な高校生の武藤遊戯に潜んだ別人格が悪人に「闇のゲーム」を執行、最終的に恐ろしい「罰ゲーム」を与えるというダークヒーローものでした。このゲームのなかで『マジック:ザ・ギャザリング』を参考に架空のTCG『M&W(マジック&ウィザーズ)』が登場します。
この『M&W』での駆け引きが読者の興味を引き、その後の『遊☆戯☆王』はカードゲームが物語の中心となりました。これがちょうど1997年のことです。この同年、富士見書房が『マジック:ザ・ギャザリング』に影響を受けたTCG『モンスターコレクションTCG』を発売、株式会社ブロッコリーがアニメファン向けを狙ったTCG『アクエリアンエイジ』を発売しました。
TCGブームの引き金の一端を担った『遊☆戯☆王』がカードを発売することになったのは、TVアニメ化された『遊☆戯☆王』(1998年4月4日~10月10日)がきっかけです。この時の玩具スポンサーだったバンダイから、自動販売機カードダスの商品として発売されたのが初めてでした。
この時、アニメ化の際に版権問題を考慮して、劇中のカード名称を『M&W』から『デュエルモンスターズ』に変更します。しかし、この時のTVアニメは原作マンガがまだ連載中だったことから序盤の闇ゲームを中心に、カードゲームでの戦いはあまり描かなかったことからか、あまり人気が出ずに半年ほどで放送終了となりました。
このTVアニメ放送終了後に版権を入手したコナミは、TCG『遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ』を1999年2月4日に発売。以降、かなり速いペースでエキスパンションを展開していきました。この頃、連載中の『遊☆戯☆王』は「決闘者の王国(デュエリストキングダム)編」も佳境に入ったころで、かなりの相乗効果があったと思います。