7月19日は「サイボーグ009の日」 初連載は打ち切りだった、何度も蘇った名作
日本のSFヒーローの始祖とも評される名作マンガ『サイボーグ009』。その人気は時代を超え、世代を超えて愛され続けてきました。その長きにわたって紡がれてきた名作のルーツを振り返ります。
掲載誌を変えて不死鳥のようによみがえる『009』の物語

7月19日は「サイボーグ009の日」。その由来は、マンガ『サイボーグ009』(以下009)の連載が始まった日だからだそうです。『009』といえば、石ノ森章太郎先生(発表当時は石森章太郎)の代表作と言えるSFマンガの名作。その後の作品群にも大きな影響を与えた作品です。
『009』が最初に連載されたのは少年画報社の「週刊少年キング」でした。若い世代の人には聞き覚えのない雑誌名だと思いますが、日本で3番目に創刊された週刊少年誌で、ジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンと並んで5大週刊少年誌と呼ばれた雑誌です。
この「少年キング」で1964年から連載開始した『009』は、1年以上連載を続け、「ミュートス・サイボーグ編」で一応の完結をしました。一応というのは、打ち切りだったからです。そのため、「ミュートス・サイボーグ編」は、火山の爆発で敵味方共に行方不明という不本意な形での幕引きになりました。
しかし、『009』はここで終わりません。秋田書店が『009』の単行本化に手を挙げ、自社で企画していたサンデーコミックスの第一弾として、1966年7月に『009』の1巻が発売されることになりました。この単行本化で「ミュートス・サイボーグ編」は大幅な加筆がされ、現在のような形になります。
そして同時期、別の出版社からも救いの手がありました。講談社の「週刊少年マガジン」が、『009』の真の結末を描く場所として連載を打診します。石森先生はこれを受け、1966年27号から「地下帝国ヨミ編」の連載を開始しました。この連載は結末を描くために始まったので、終わりを決めずにスタートしたそうです。その結果、『009』初の長編となりました。
この『009』の結末を描くというスタンスから、宿敵であるブラックゴーストはこの「ヨミ編」で倒され、最後は002/ジェットと009/ジョーが死亡するような結末を迎えます。この感動的な名シーンは、後にさまざまな媒体でオマージュされることになりました。
さらにこの時、忘れてはいけないのがこの同じ年に『009』初のアニメ化がされたことです。それが1966年7月21日に1時間ほどの中編劇場版映画として製作された『サイボーグ009』でした。人気があったことから1967年3月19日公開の『東映こどもまつり』枠で『サイボーグ009 怪獣戦争』が続けて製作されています。
その後、この2回の劇場版を製作したのち、TVアニメとして『サイボーグ009』は1968年4月5日~9月27日までNET(現在のテレビ朝日系列)で放送開始しました。しかし、予算の都合でモノクロとなります。
アニメ化により『009』は当時の子供なら誰でも知っている名作となりましたが、その人気が思わぬ反響を生みました。002と009を生き返らせてほしいという声が石森先生に多く寄せられたそうです。そこで、ふたりの生存が描かれた「ヨミ編」以降の新たなシリーズが、秋田書店のマンガ月刊誌「冒険王」1967年5月号から始まりました。
この連載は1969年6月号まで続き、石森先生自らが筆を止めることになった「天使編」まで連載されます。ここまでの作品は出版社に関係なくすべてサンデーコミックスの1巻から10巻として単行本化され、長らく完結したものとされてきました。