「捨てるわよ!」と脅されて号泣…ブチギレママとのファミコン戦争
怒られないための「見せプレイ」という駆け引き

友人が我が家に来た際にファミコンで遊ぶことは当然のことのようにありました。ただ、その友人のなかには、プレイをせず眺めているのが好き、後ろから指示する後方プロデューサー面が好きという友人もいました。大人になった今だから気付くことですが、おそらく上達しないことがコンプレックスでそれが露わになるのが嫌という子か、家庭の教育方針でファミコンが禁止されていて、それを敬虔に守る子だったのだと思います。
この座組を目ざとく見つけたママは「友人に意地悪をしてプレイさせない」と思い込み、友人が帰ったあと私を怒るのです。先述のような事情は子供の当時わかるわけもなく、こちらとしては友人に言われたとおり「見ているだけでいいって言ったから」と説明したところで「あんたがガキ大将のように威圧したのだろう」と威圧的に言うので二の句が継げず。「ファミコン1週間禁止」という不条理&無慈悲な処分が下されることもありました。
●新しいソフトを買ってもらうために古いソフトの「見せプレイ」
続々と楽しいソフトが発売されたファミコン。自分でお小遣いをためて買うこともありますが、リスクなしで手に入るのが誕生日やクリスマス、そして親がご機嫌なとき。そうやって1本1本ソフトが増えていくと、古いソフトで遊ばなくなることは必然。
それを目端で確認していたママ、そうとは知らない私はまた新作ソフトをおねだりします。するとママは「あのゲーム、全然やってないじゃない!新しいの買ったってこれも遊ばなくなるんでしょ!」とブチギレ。どうやらママとして古くなったおもちゃを放置し遊ばなくなることが理解できないらしく、新作を買ったとて同じことをするだろうと予測していたようです。
また「ソフト=荷物」と認識しており、物が増えることの嫌悪というのもあったようです。これに対し「古くなったソフトは飽きた」と正直に言えるわけもなく、ママと「まんべんなく遊ぶ条約」を締結。自宅でファミコンをする際、わざとらしくしない所作で古いソフトでも遊んでいるところを「見せプレイ」し、ママの溜飲が下がったところで新しいソフトを買ってもらうという流れがありました。
現在の据え置きゲームといえば、ソフトはダウンロードで場所をとらないし、ゲーム機自体はオシャレで出しっ放しでも美観を崩さず。コントローラーのコードもなくなって片付けるとうい概念が昔とくらべなくなり、今日日の子供たちはママとの戦いもきっと減ったことでしょう。それはそれでちょっと寂しいかもしれませんね。
(南城与右衛門)