「マンガなんかで」投げられた批判…後ろめたさ。それでも“狂気の戦場”戦後世代が伝え続ける理由
2022年8月15日で戦後77年。経験者が激減しつつあるなか、太平洋戦争の激戦を描いたマンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』が、戦争マンガとしては異例のヒット。「忘れ去られようとしている悲劇」に光を当てた作品誕生の背景には、現代に戦争を伝えるためのさまざまな工夫と葛藤がありました。
「マンガを描きたい」「母親に会いたい」……美しい海を前に、誰もが抱くような願望を語り合う若者たち。しかし、次の瞬間には機関銃や火炎放射器で攻め立てられ、命がけの戦いを強いられる……。
太平洋戦争の激戦を描いたマンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』が、連載開始から6年で発行部数110万部と、戦争マンガとしては異例のヒットとなっています。
2021年7月にはスピンオフマンガ『ペリリュー ―外伝―』が連載開始され、アニメ化も発表されている本作が描いているのは、多くの日本人が忘れ去ってしまった「ペリリュー島の戦い」です。
経験者が激減しつつある77年前の戦争。「忘れ去られようとしている悲劇」に光を当てた作品誕生の背景には、現代に戦争を伝えるためのさまざまな工夫と葛藤がありました。
[取材・文=杉本穂高/編集=佐藤勝、沖本茂義]
「狂気の戦場」と呼ばれた島
マンガの舞台となるペリリュー島は、フィリピンの東、パラオ諸島に浮かぶ小島。パラオ諸島は第一次世界大戦後から太平洋戦争終結まで日本統治下にあった影響で、日本文化が深く根付き、一部地域では日本語が公用語として認められているほどです。
戦時中、ペリリュー島には日本軍の重要拠点である大規模飛行場がありました。これを守備する日本兵約1万と米兵約4万が激突、日米合わせて約2万もの死傷者が出た「狂気の戦場」と呼ばれています。
日本兵は少ない食糧が底をついた後も抗戦を続け、飢えに苦しみながら終戦後も洞窟やジャングルに潜伏し続けました。戦いが終結したのは2年後。帰国できたのはわずか34名でした。ペリリュー島には、今も日本兵の遺骨が多数眠っているとされます。
このマンガの作者は、終戦から30年経った1975年生まれの武田一義さん。
本作は、そんな過酷な環境におかれた若者たちの日常と戦いを、史実をもとに脚色し、その実態をわかりやすく伝えていると賞賛を集めています。
主人公の田丸一等兵を中心に、飢えと病気に苦しみ、それでも生き残ることを信じて過酷な環境で懸命に過ごす若者たちの姿を、三等身の可愛い絵柄で活写。戦闘だけでなく、事故や病気で多くの若い命が失われたことを描いています。
単行本11巻まで続いた本編では、日本軍側の視点を中心に、苛烈な戦闘で形もわからなくなるくらいに吹き飛ぶ肉体や、水と食糧がなく餓死していく者、病院のない島で病気にかかり、なすすべなく死んでいく様などが描き出されました。
今年7月に発売された『ペリリュー ―外伝―』第1巻では、アメリカ側やペリリュー島の島民視点からのエピソードも描かれ、戦争の悲惨さを多角的に伝えています。
武田さんがペリリュー島の戦いについて知ったのは、2015年の天皇・皇后両陛下(現上皇ご夫妻)のペリリュー島訪問がきっかけでした。
武田さんは戦争を体験していない世代ですが、マンガで戦争を描こうと思った動機の源は、子供の頃に触れたマンガやアニメ、映画など、フィクションで描かれた戦争にあるといいます。戦争体験者の生々しい感覚が心に強く刻まれ、そんな疑似体験から「人が極限状態に置かれる戦争を通して、人間や社会の本質を描けるのではないか」と、作家として考えたそうです。