そもそも高橋名人とは何者? イマクニって? 「ホビー系お兄さん」たちのルーツに迫る
高橋名人はそもそも何者だったのでしょうか? ミニ四ファイターは「職業」だったのでしょうか? 子供の頃夢中になった、「ホビー系お兄さん」たちの謎に迫ります。
ファミコン少年たちのヒーロー「高橋名人」はそもそも何者?
子供の頃、児童向けマンガやテレビ番組では「ホビー系お兄さん」がよく登場しました。ホビー系お兄さんとは、マンガやゲームを紹介していたあの人たちのこと。ヒーロー的ポジションだった方もいれば、当時から不思議な位置付けの方もいらっしゃいました。あの方々の今現在も気になるところではありますが、今回は彼らがそもそも何者だったのかも、あわせて紹介します。
●高橋名人は一体、どこからやってきたのか?
最も有名なホビー系お兄さんといえば、ファミコン全盛期に颯爽と登場した高橋名人でしょう。彼の代名詞である「16連射」や自身が主人公となったアクションゲーム「高橋名人の冒険島」シリーズなどで、ファミコン時代の寵児だった高橋名人ですが、プロゲーマーの先駆け的存在として今もテレビやイベントに引っ張りだこです。さて、そんな高橋名人はそもそも何者だったのでしょうか?
高橋名人こと本名・高橋利幸さんは北海道出身で、もともとはスーパーマーケットの青果部で働いていました。ゲームとまったく関係のないところで、キャリアをスタートさせていたのです。そしてスーパーの主任に就任したとき、高橋さんは伝票整理のため当時のマイコンブームに乗っかり、自家用車よりも高いパソコンを思い切って購入。さらに、自分も操作方法に悪戦苦闘している身でありながら、パソコン関連のカルチャーセンター講師に転身したのです。
そして1982年8月、今度はその知識を活かしハドソンの面接を受けて入社しました。以降、本人もブームの渦中に押し込まれる形で「月刊コロコロコミック」との提携イベントにはじまり全国キャラバン、そして「おはスタ」の前身番組「おはようスタジオ」のレギュラー出演とあっという間に世間に認知されていったのです。なお彼が「高橋名人」と正式に名乗ったのは、1985年5月3日に開催された「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」でのことでした。そして、高橋名人は2011年にハドソンを退社。現在は「一般社団法人 e-sports 促進機構」の理事を務めています。指でスイカ割をする凄技も、もしかしたら青果部時代の経験と紐づいているのかも……運命を感じます。