マグミクス | manga * anime * game

初代から10年後に放送開始した『あしたのジョー2』 再スタートには「紆余曲折」も

42年前の1980年10月は、TVアニメ『あしたのジョー2』の放送が始まった月です。TVアニメ第1作『あしたのジョー』終了から約10年の時を経て制作された作品ですが、第1作でチーフ・ディレクターを務めた出崎統氏も演出及び絵コンテ(さきまくら名義)で参加し、熱のこもった作品を作り上げました。

「絶対にほかの人にやらせたくない」の熱意

 ジョーが放浪の旅から戻るところから描かれた、TVアニメ『あしたのジョー2』。画像は『あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK Vol.1』(ぴあ) (C)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS
ジョーが放浪の旅から戻るところから描かれた、TVアニメ『あしたのジョー2』。画像は『あしたのジョー2 COMPLETE DVD BOOK Vol.1』(ぴあ) (C)高森朝雄・ちばてつや/講談社・TMS

 1970年に放送され、最高視聴率29.2%を記録するほどの人気となったアニメ『あしたのジョー』は、アニメ版が連載の内容に追いついてしまったことから、カーロス・リベラ戦を終えた後に矢吹丈(以下、ジョー)が放浪の旅に出るシーンで放送終了となりました。

 それから約10年の時を経て、1980年10月13日に放送開始したのが、アニメ『あしたのジョー2』でした。『あしたのジョー2』第1話は、ジョーが放浪の旅を経て東京へと戻ってきたシーンから始まります。同作はジョーが力石を喪ってから放浪の旅に出たことが示唆される状況から始まっており、ストーリーとして初代アニメとの連続性はないのですが、まるで初代の続きを見ているような錯覚を覚えます。

 初代アニメで監督(チーフ・ディレクター)を務めた出崎統氏は、『2』では演出として参加しています。アニメーションの絵の設計図ともいえる絵コンテも、1話を含め大半の回で出崎氏が「さきまくら」の名義で担当しています。「放浪からの帰還」というシチュエーションの連続性は、制作スタッフが同じだったことから可能になった演出なのかもしれません。

 ただし、出崎氏の参加は簡単な話ではありませんでした。初代を制作したのは手塚治虫氏が設立した虫プロダクションでしたが、同社の経営悪化に伴い、出崎氏は1972年に初代のプロデューサー・丸山正雄氏をはじめとする『あしたのジョー』を作り上げたスタッフとともに独立し、アニメ版『DEATH NOTE』などで知られる制作会社「マッドハウス」を立ち上げていたのです。

 なお、丸山氏はマッドハウスの後に『呪術廻戦』のアニメ化などで知られる「MAPPA」を設立しています。50年前の人の動きが、現代のヒット作に直接つながる動きとなっているところに歴史を感じます。

 マッドハウス立ち上げの際には東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)の援助を受けており、出崎氏は『エースをねらえ!』『空手バカ一代』『はじめ人間ギャートルズ』『ガンバの冒険』『元祖天才バカボン』など東京ムービーが手掛けた歴史に残る名作に数多く携わり、天才演出家として名を馳せました。

 しかし『あしたのジョー2』が企画された際に、「絶対『2』はやらない、あれは『1』だけでいいんだ」と考えた丸山氏と、「『あしたのジョー』は絶対にほかの人にやらせたくない」と考えた出崎氏の間に亀裂が入ってしまうのです。

【画像】忘れられない『あしたのジョー』のライバルと、麗しのヒロイン(5枚)

画像ギャラリー

1 2 3