『異世界おじさん』アニメ放送延期と「セガハード戦略の迷走」共通点に、ファンが爆笑した理由
物は良いのに勝ちきれないセガ

1987年にセガは「MARKIII」にFM音源や連射機能を搭載した「マスターシステム」を発売しましたが、この時期はファミコンの絶頂期に当たり、『ファンタシースター』などの傑作はあったものの苦戦を余儀なくされます。しかし海外ではかなり売れており、北米では330万台、欧州では680万台、そしてブラジルでは2022年現在でも生産が継続されるほど人気があり、累計800万台を突破しています。
日本より海外で愛される傾向は、初の16ビットマシンとして発売された「メガドライブ」でも顕著でした。日本国内でもセガのハードとしては初めて100万台以上を売り上げ、存在感を示していましたがスーパーファミコンの牙城を崩すまでには至っていません。『アドバンスト大戦略』や『ソニック ザ ヘッジホッグ』などは面白かったのですが……。
しかし「SEGA GENESIS」という名で発売された北米では1995年1月の時点で55%のシェアと2000万台の売り上げを記録し、大きな存在感を示しました。とはいえ光には影が付き物。「セガサターン」への移行の際にはジェネシスと周辺機器であるスーパー32Xのデッドストックなどのツケが重くのしかかり、1997年3月期に270億円の特別損失を計上しています。
1994年に発売した「セガサターン」ではソニーの「PlayStation」と競合。序盤は『バーチャファイター』『バーチャファイター2』といったキラータイトルの力で優位に立ちますが、サードパーティを取り込んだソニー陣営に巻き返され、忘れもしない1997年1月23日、エニックス(現:スクウェア・エニックス)が『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』をPlayStationで発売すると発表したとき、大勢に決着が付きました。
そして1998年、セガ最後の家庭用ハードとなる「ドリームキャスト」が発売されました。当時黎明期にあったインターネットを使用可能な業界初のゲーム機として注目を浴びましたが、やはり当時普及が進んでいたDVD視聴機器としての機能を持つ「PlayStation 2」の優位性には歯が立たず、2001年に製造が中止されました。
総じてセガのハードは挑戦的であり、面白いゲームがたくさんあり、そしてとてつもなく強い競合との戦いに絶えずさらされ続けてきました。セガの家庭用ハードの歴史は20年に満たず、すでにドリームキャストの販売製造が停止されてから、20年以上の時間が経過しています。歴史が終わってからの方が、すでに時間としては長いのです。
それでも今なお、セガを愛する人の声が止むことはありません。『異世界おじさん』のように、セガへの愛が形となる機会は、これからもまだまだ何度も訪れることでしょう。
(早川清一朗)