『刃牙』範馬勇次郎が「弱者」へ放った残酷発言3選 「言葉の暴力」も最強すぎる
人気格闘マンガ『刃牙』シリーズで、最強の地位に君臨する範馬勇次郎。あらゆる生物を「弱者」として見下す彼は、時に本質を突いた残酷な一言で、相手の心まで傷つけます。今回はそんな勇次郎の放った強烈な一言を紹介します。
圧倒的強者だからこそ出せる言葉の重み
『刃牙』シリーズの人気キャラの範馬勇次郎は、「地上最強の生物」の異名に相応しい強さを持っており、ほとんどの敵を「弱者」としてとらえています。そんな勇次郎は、時に言葉でも相手の急所をえぐり、弱者たちに残酷な現実を突き付けました。
勇次郎は息子・刃牙の母親・朱沢江珠にすら「刃牙との闘いが満足のいくものでなければ キサマなど一山いくらの中年娼婦に過ぎぬということだ」と、とんでもない暴言を放ち、一応は友人であるはずのストライダム大佐のことも、発言を間違えたときには「しゃべれねェようにされてェかッ」と容赦なく脅しています。今回は他にもある、勇次郎の「地上最強の言葉の暴力」を振り返ります。
●「教えてやるよ 丹念に積み上げた上達の実感だった百年余りが 取るにも足らぬ錯覚の歴史だったことを!!!」:『 バキ 』第21巻
上記の暴言が飛び出したのは、第2部『バキ』で刃牙や勇次郎が、100年に一度開かれる中国武術界最強の「海皇」を決める、「大擂台賽(だいらいたいさい)」に参加した時のことでした。この大会の初戦で、勇次郎は烈海王の師匠でもある劉海王と対戦します。
試合前に、「大会への参加資格を確かめる」という名目で瓦割りを行った勇次郎は、四十枚もの瓦を難なく砕いた後、「こんなことでなにがワカる」「決して反撃せぬ物体を相手に」と、劉に尋ねます。そして、劉の答えは、「拳技とは弱者の為にこそ存在するもの」という前提のもと、「上達の実感を得るためならあながち無意味とも思えぬ」というものでした。それに対し、勇次郎は……
「教えてやるよ 丹念に積み上げた上達の実感だった百年余りが 取るにも足らぬ錯覚の歴史だったことを!!!」
と、100歳を超える拳法の達人・劉の人生までも、真っ向から否定します。そして、始まった試合も、勇次郎の言葉通り一方的なもので、劉は開始直後に勇次郎の手刀で、顔の皮を剥ぎ取られてしまうのでした。その後、深手を負いながらも、劉は烈海王の乱入の隙をつき、不意打ちで蹴りを繰り出します。しかし、それも服を切り裂いただけで傷ひとつつけられず、勇次郎の反撃で勝負は決着しました。
瞬殺された劉ですが、烈の師匠でもあり、実力者なのは疑いようがありません。しかし、勇次郎の強さを見抜けなかった点に関しては、「丹念に積み上げた上達の実感」が邪魔をした可能性もあります。
●「だから相手にもされんのだ 俺にも刃牙にも父親にも」:『範馬刃牙』第11巻
第3部『範馬刃牙』では、T-レックスを捕食していた「史」上最強の原人・ピクルが、1億9000万年の眠りから目覚めた「野人戦争(ピクル・ウォーズ)編」が始まります。ピクルの強さに惚れ込んだ日本の戦士たちは、彼が保護されている米軍厚木基地に忍び込みました。
他のメンツがこっそり侵入するなか、正面から基地に乗り込み、ピクルの元にやって来た勇次郎は、集まった面々を見て「烏合の衆」と鼻で笑います。この態度に、「烏合の衆ってだれのことだい」と反応したのは、若き空手家・愚地克巳でした。そんな克巳を一瞥した勇次郎は、彼の甘さを見抜いた一言を発します。
「だから相手にもされんのだ 俺にも刃牙にも父親にも」
武神・愚地独歩を父に持ち、「空手を終わらせた男」とまで言われる天才・愚地克巳。しかし、その実態は、天才ゆえに勝ち負けへの執念が薄い「ボンボン」でした。「烏合の衆ってだれのことだい」という言葉も、負けると分かっていながら、尊敬する父の手前、ついうっかり張ってしまった虚勢です。そして、いざとなれば、「この場に集まった人間の加勢も期待できる」という、甘えも含んでいました。
脈絡がないように聞こえた勇次郎の言葉は、克巳の甘い考えを見抜いたうえで発したものだったのです。勇次郎の言葉で心理的に追い詰められた克巳は、勇次郎に襲い掛かりますが、蹴り足の靴ひもを抜かれ、「隅っこで綾取りでもしてな」と放置されて、言葉通り「相手にされない」という現実を突き付けられます。
その後、克巳は勇次郎の言葉をきっかけに自分を見つめ直し、心身ともに大きく成長して、ピクルと名勝負を繰り広げました。そして、この一皮むけた息子・克巳の姿を見た独歩が、きっかけを与えてくれた勇次郎に感謝の言葉を述べるという、勇次郎がらみでは珍しい、少し心和むエピソードも描かれています。