熱量がすさまじかった『母をたずねて三千里』 スタッフにとんでもない3人がいた
長い旅路の終わり

その後もマルコは、お世話になった人たちへの挨拶を続けます。ロサリオではコルドバまでの汽車賃を酒場で用立ててくれたフェデリコ爺さんに。船でブエノス・アイレスへと向かう道中では、すれ違ったアンドレアドーリア号の船長たちに。ブエノス・アイレスではマルコの旅を何度も助けてくれた人形劇のペッピーノ一座に。
ペッピーノの娘であるフィオリーナと、将来は医者になって帰ってくると再会の約束をしたマルコは、アンナと共にいよいよジェノバへと向かう船に乗り込みます。マルコが何度も死ぬような思いで歩んできた旅路も、ついに終わりが来たのです。
航海の末にジェノバへとたどり着いたマルコとアンナを、父・ピエトロとマルコの兄、トニオが出迎えます。ついに家族がひとつとなり、物語はエンディングを迎えたのでした。
なお、若干9歳のマルコがひとりで旅に出た背景としては、ピエトロは貧しい人びとを無料で診察できる診療所を抱えていたために動けず、トニオは鉄道学校に通っていたという事情がありました。ネットもSNSもない時代、たったひとりで遥か海の彼方のアルゼンチンを目指すマルコの覚悟がどれほどのものだったのか、いまの時代の私たちではおそらく察することもできないのでしょう。
ところで、なぜマルコの母親はアルゼンチンに出稼ぎに行ったのでしょうか。実は今でこそ経済的には目立った国ではないアルゼンチンですが、『母をたずねて三千里』は西暦1882年を舞台にした物語であり、この時代のアルゼンチンは世界トップクラスに豊かな国だったのです。
特に1860年代から1930年代までは農産物の輸出により莫大な利益を挙げており、先進国のひとつとして大きな存在感を持っていました。汽車のような当時最先端の交通インフラが存在していたのも、経済の強さを物語っています。現代のように資料が簡単に手に入らない時代、アルゼンチンの描写をどのように作り上げていったのか。当時のクリエイターたちが注ぎ込んだ努力と熱量がどれだけ膨大な量だったのかをうかがい知ることができる気がします。
(早川清一朗)