マグミクス | manga * anime * game

半世紀前の「1973年」何があった? 「オセロ」が社会を席巻、「レジェンドの死」の衝撃も

今から50年前の1973年にもさまざまな出来事がありました。今でも語り継がれている人気作品も多くあった、半世紀前の1973年を振り返ってみましょう。

花の中三トリオと新御三家が話題だった1973年

1973年にツクダオリジナルから発売された「オセロゲーム」は社会的ブームに。現在は公式ライセンス商品がメガハウスから発売されている
1973年にツクダオリジナルから発売された「オセロゲーム」は社会的ブームに。現在は公式ライセンス商品がメガハウスから発売されている

 近年では〇周年記念といった行事も多くなりました。筆者のように年齢を重ねると、あの出来事からもうそんなに時間が経ったのか……と驚くことも少なくありません。今回は50年前、半世紀前の1973年にあったことを思い出していこうと思います。もちろん「マグミクス」の記事ですから、マンガ、アニメ、ゲームを中心に話題を進めていきましょう。

 1973年というと内閣総理大臣は田中角栄さん。この名前でピンと来た方はおそらく50代以上の方だと思います。年末恒例の第15回「日本レコード大賞」の大賞は五木ひろしさんの「夜空」、最優秀新人賞は「わたしの青い鳥」の桜田淳子さんが、アグネス・チャンさんや浅田美代子さんを抑えて受賞しました。

 この淳子さんが、前年1972年にデビューしていた森昌子さん、1973年にデビューした山口百恵さんと「花の中三トリオ」を組んで人気だったことは、当時を知る人なら知っていて当然の話でしょう。花の中三トリオは、「新御三家」と呼ばれた西城秀樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さんたちと並んで、この数年は若手歌手として時代を動かしていきました。

 1973年に発売された商品で今なお誰もが知るものといえば、やはりツクダの「オセロゲーム」でしょう。4月に発売されたオセロはアッという間にヒット商品となり、誰もが遊ぶゲームの定番となりました。

 大きな理由のひとつに単純明快なルールと、奥深い戦略性があります。そして、またたく間に広がった理由は、商品として買わない人も紙さえあれば自作でオセロを作ることができたからでしょう。筆者も教室にあったわら半紙でオセロを作ったことがあります。

 さらにオセロが流行り始めていくと、雑誌などの付録にもつくようになりました。振り返ってみると、当時の子供だった筆者は本物のオセロで遊んだ記憶はありません。自作するか、この雑誌付録の紙オセロでした。

 この他にも、当時遊んだオモチャゲームといえば、タカトクトイズから発売された「生き残りゲーム(後にデラックス版の生き残り頭脳ゲームとして再販売)」や「沈没ゲーム(後にデラックス版の沈没作戦ゲームとして再販売)」を思い出すことでしょう。

 4色の玉を落としあう4人用のボードゲームで、友だちの家に行くと誰かが持ってきて、よく遊んだ記憶があります。根強い人気があり、かなりのロングラン商品でした。余談ですが、同じくタカトクトイズがスポンサーだった特撮作品『円盤戦争バンキッド』で、秘密基地入口の鍵に使われていたことをおぼえている人も多いと思います。

 このほかにもキャラクター玩具では大ヒットとなった『マジンガーZ』の「超合金」と「ジャンボマシンダー」が販売されたのも1973年でした。このヒットにより、玩具屋では合金製のロボットが所狭しと置かれるようになります。

【画像】懐かしすぎる! 50年前、1973年に流行ったオモチャ、作品たち(8枚)

画像ギャラリー

1 2