「刀鍛冶の里編」に登場する鬼の異質さとは? 強いのに「これまでの敵と違う」
『鬼滅の刃』に登場する鬼の多くは、思わず同情してしまう哀しい過去を持っています。しかし、「刀鍛冶の里編」で登場する上弦の鬼たちに、そういった同情の余地はありません。代わりに、これまでの強敵とはひと味違う、ある種「小物臭」さえ漂う魅力にあふれていました。
レスバトルに興じるコミカルさ、すがすがしいほどの「悪」

『鬼滅の刃』は、主人公・炭治郎と共に鬼と戦う味方側のメンバーはもちろん、敵側である鬼の多くにも、感情移入してしまう背景があります。そんなドラマ性あふれる登場人物像のなかで、異質な敵が登場するのが、「刀鍛冶の里編」とこれまでのエピソードとの大きな違いです。
※この記事はまだアニメ化されていないエピソードについての記載があります。
その敵とは、「ほとんど感情移入の余地がない」鬼である、上弦の伍・玉壺(ぎょっこ)と上弦の肆・半天狗(はんてんぐ)です。作品全編を通しても、あまりこのふたりの鬼にフォーカスが当たる機会はありません。だからこそ、「刀鍛冶の里編」が2023年4月よりTVアニメ放送されるのが発表されたのを機に、あえてこのふたりの鬼の魅力がどこにあるのか、考えてみたいと思います。
●上弦の伍・玉壺 常軌を逸する芸術家。実はただのギャグキャラ?
玉壺は、自身の作り出す壺を瞬間移動でき、水を操ったり魚を生み出したりと、トリッキーな能力が目立ちます。見た目の異様さは、上弦の鬼のなかでも屈指のレベルで、もはや人の形を留めている部位はほぼありません。
玉壺は能力だけでなく、異常性も際立っていました。刀鍛冶の里の住人を手にかけ、残忍な「芸術作品」を作る様子には、人の命を歯牙にもかけない残忍さが表れていました。しかし、そんな玉壺の見せ場は、登場冒頭で終わってしまったのです。
彼と対峙した霞柱・時透無一郎を、あと一歩まで追い詰めたまでは良かったのですが、覚醒した無一郎の攻撃ならぬ「口撃」で、ボロクソにされてしまいます。口で応戦している彼は、見た目の異様さと相まってほぼ「ギャグキャラ」に成り下がってしまいました。
また、彼は炭治郎の刀を研ぐのに没頭する鍛冶師・鋼鐵塚蛍(はがねづか・ほたる)を見て、「芸術家として負けている気がする!!」と謎の敗北感を味わうことに。実はこの鬼、人間だった時も大した芸術家ではなかったのでは……? と思ってしまうほど、物語が進むにつれて、玉壺は小物臭を増していくのでした。
尻すぼみに威厳を失っていく玉壺は、『鬼滅の刃』では貴重な「かませ犬」ポジション的存在だったのかもしれません。
●上弦の肆・半天狗 走馬灯を見てもなお「同情の余地なし」の稀有なキャラ
もうひとりの鬼・半天狗は見た目の弱々しさとは対称的に、次々と自分の分身を作り出してそれぞれが強烈な攻撃を繰り出し、炭治郎たちを追い詰めていきました。恋柱・甘露寺蜜璃に炭治郎、禰豆子、玄弥の四人がそれぞれ命を賭けて、ようやく倒すことができるような存在です。(天才剣士とはいえ)無一郎ひとりにあっけなく敗れた玉壺は、強さという点ではかなり描かれ方に差が生まれてしまいました。
半天狗は、やられる瞬間にも走馬灯を見るという、これまでの『鬼滅の刃』のエピソードでたくさん目にした展開が与えられています。今までの鬼たちは、ここで哀しい過去が描かれることで、読者も思わず彼らに感情移入していました。
彼の走馬灯はどうだったのかというと……。嘘をつき、盗み、人を手にかけるという、犯罪者そのままの姿でした。奉行所で刑罰を受ける直前、鬼になった彼は、自分に刑を下そうとした役人を手にかけます。
自分ですら忘れていた、人間での人生を振り返った半天狗。受けるはずだった罰のことを思い出しながら、頸を斬られてしまった彼は、何を思っていたのでしょうか。それでも、彼はほぼ同情の余地なしと言える、鬼の中の鬼でした。そんな彼が、死後にラスボス・鬼舞辻無惨からこれでもかと褒められるのは、なんとも皮肉なものです。
物語本編では、その後彼よりもずっとひどい過去を持つ鬼が出てきます。それもあって、彼の存在が薄れてしまうのかもしれません。でも、筆者は忘れません。あなたが元祖「走馬灯が流れても同情できなかった鬼」であることを。
強さはホンモノなのに、どこか漂う小物臭が異彩(?)を放っていたふたり。だからこそ、これまでの美麗な作画で、この鬼たちがどう躍動するのかが楽しみです。
※禰豆子の「禰」は「ネ」+「爾」が正しい表記
(サトートモロー)


