“最南端のマンガ編集部”「コミックチャンプルー」と沖縄マンガの12年
「沖縄マンガ」を知っていますか? 何かと話題になる沖縄。"最南端のマンガ編集部"は、どのような活動をしているのでしょうか。
地元ならではの沖縄らしさ、マンガに反映
沖縄マンガとは、2010年に沖縄県立美術館で開催された「沖縄マンガ」展で、”沖縄出身者が描いたマンガ、沖縄を題材としたマンガ”と定義されたことがはじまりです。
漫画家志望者の発表の場が限られている沖縄で、プロアマ問わず門戸をひろげているwebマンガ「コミックチャンプルー」。同編集部の島袋直子さんは、1987年創刊された「コミックおきなわ」という月刊漫画雑誌の編集からキャリアをスタートし、2007年にwebマンガサイト「コミックチャンプルー」を立ち上げ、現在に至ります。
――沖縄マンガと本土のマンガの違いは?
「沖縄出身者が描いたマンガ」については、描く題材が沖縄ではない場合は、全国のマンガ家さんとさほど差がないように思います。沖縄の人が沖縄を描く場合は、地元ならではの感覚、習慣、歴史など、本土の方にはちょっとわかりにくい部分が色濃く反映されると思います。言葉を例に見ると、「帰りましょうね」というと、全国的には「一緒に帰る」という意味になりますが、沖縄だと「帰る」を丁寧な言葉として使っている、などです。
沖縄県外の方が「沖縄を題材にしたマンガ」を描いた場合は、沖縄人から見ると、「そうじゃないよ」という感じの作品があったりします。それを研究しているのが「わうけいさお」さんという方で、『なんじゃこりゃ〜沖縄』という書籍も出しています。
「沖縄マンガ」で扱うテーマは、沖縄戦、沖縄の歴史、人物伝、スポーツ、4コママンガ 、1コママンガなどが多いように思います。その背景は、身近な題材を描いていると言っても良いのではないでしょうか。沖縄戦にしても、戦争の跡はまだ、首里城そばの公園に防空壕の入り口があるなど、垣間見ることができます。
沖縄戦のマンガを描き続けている新里堅進さんは、終戦直後の生まれで、実際の戦争体験はないそうですが、子供の頃は戦争の痕がかなり残っていたそうで、沖縄で戦争があった事実、その様子を描き続けていきたいようです。
――どういった反響がありましたか?
単行本を販売しての反応はまだまだ多くありませんが、南原明美先生の『実話・地名笑い⁉︎話』は、作品を「コミックチャンプルー」に掲載すると県外から南原先生のファンの方が会いに来てくれました。
沖縄人の傾向としては”ミーハー””新しいもの好き”と言えます。沖縄人はTV、ラジオ等に掲載されると、どっとそちらに流れる傾向があるように思われます。最近では「コミックチャンプルーの情報をサイトやSNSに告知すると、だんだん人が集まるようになり、沖縄でもサイトやSNSで人が動くようになってきました。
沖縄にこだわる理由は
――沖縄での諸問題と沖縄マンガとの関係性はありますか?
本の売り上げに影響があるのかどうかはわかりませんが、沖縄での諸問題はマンガのネタとして扱えると思います。「コミックおきなわ」では米軍基地を絡めた作品もありました。また全国誌ですが、沖縄をかなり取材して描かれたと思われる『はいさい新聞文化生活部/原作:高津太郎 マンガ:ひらまつおさむ/芳文社』は沖縄の社会問題に切り込んで描いています。沖縄在住のマンガ家さんにはこの手のネタを描きたがる方は少ないという印象です。
――沖縄にこだわる理由をお聞かせください
沖縄にこだわるのは、本を出版して書店に並べた時に、全国誌と並んで埋もれないようにするためです。沖縄を描いたマンガはまだ少ないと思いますので、少しでも目立てばと思います。また、沖縄から東京を題材にして描いても、なんだかリアリティに欠けます。調査・取材に出向くのも大変です。身近なところを掘り起こせば、そこに面白いものがあると思います。
私としては、タウン情報誌や観光ガイドブックの取材もかなりしましたので、そこで見つけたネタをマンガにしないのはもったいないなと思いました。面白いエピソードや伝説、人物があり、それらをマンガにすると面白いドラマになりそうだなと思っています。また、パワースポットなどを訪れた際、そこを絡めたファンタジーなどを描くと面白くなりそうだなと思ったりします。沖縄に限らないとは思いますが、身近なところを掘り起こしてもそこにはマンガにすると面白いネタがたくさん埋まっていると思います。
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「コミックチャンプルー」は、今年で立ち上げから12年目を迎えます。島袋さんは、今後も沖縄にこだわったマンガを発信していくそうです。
(マグミクス編集部)