「ガンプラ」から「萌えキャラ」までーープラモデル60年の歴史にみる”アニメ×プラモデル”の潮流変化
1958(昭和33)年、マルサンが国産プラモデル第一号となる「1/300 原子力潜水艦ノーチラス号」を発売してから、およそ60年あまり。アニメ作品と連動しながら展開し、プラモデルの一ジャンルを築いた「ガンプラ」も2020年に40周年を迎えます。
プラモデルに巻き起こる”リアリティ(精密化)”の波
「ガンプラ」を中心にアニメと共に歩んだプラモデルについて『日本プラモデル六〇年史』の著者、小林昇さんにインタビューしました。
――まず、国内のプラモデル全体についてお聞きしたいと思います。
1968(昭和43)年にタミヤがMMシリーズという、ミリタリーシリーズを新しく発売しました。国産プラモデルが誕生して10年が経ち、戦車を布団の上で走らせていた小学生も高校生ぐらいになったわけです。そんな中で、大人でも満足できるリアルなものを作ろうという流れが出てきたのだと思います。タミヤがその先鞭をつけたということですね。顧客の層が大きく広がっていく時期で、動力がついてない軍艦や戦車でも、より精密なつくりのものが求められるようになりました。
年齢層が高くなると、精密なキットが求められる。そうすると例えば操縦席の中も細かく再現されるようになって、そういうキットが売れるようになりました。
――スケールサイズの話が出ましたが、戦車や軍艦などにそれぞれ適応したスケールサイズがあるのでしょうか?
プラモデルはイギリス生まれですから、ポンド、ヤードの12進法なのです。Oゲージ、Nゲージ、飛行機は1/72だとか1/48だとか、日本人にしてみると中途半端な縮尺だったんですね。
ところが、タミヤが一番最初に戦車のキットを開発したときは、1/35でした。タミヤがパンサーやタイガーといったドイツの戦車を1968(昭和43)年に「ニュルンベルグ国際玩具見本市」に初出展するのですが、ドイツの戦車を並べたら、来場者がびっくりしたといいます。「ドイツの戦車があのスケールで出てる」って大いに話題になった。まだヨーロッパの国々はドイツの戦車に良い感情を持っていなかったのでしょう。
それが一気に売れて流通していったので、今では1/35が世界標準です。戦車プラモデルに関しては、タミヤがスタンダードを作ってしまったんですね。
“リアルさ”という意味では、バンダイで初期のガンプラを開発したスタッフたちは、どういう風にしたらリアリティーが出せるかと考えてスケールを明記したといいます。キャラクターのプラモデルはそれまでノンスケールでしたが、スケールをつけることでキャラクターキットにもリアリティを求めたのでしょう。1/144スケールとか、持たせる兵器もなるべく実際っぽくしたりというのはあったんだと思うんです。
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「ガンプラ」は、バンダイから発売されているプラモデルシリーズです。その名の通りアニメ作品『ガンダムシリーズ』に登場する、「モビルスーツ」をキット化したものです。