さらなる”ドラマ性”をーー池上遼一が切り拓いたマンガ表現と劇画の相互関係
「マンガ」と「劇画」の相互作用

小説では、事件の説明を文章で書いていきます。ただマンガでは状況を長々と文字で説明しても読んではもらえない。そこで大ゴマに絵をモンタージュして説明する演出ができたのです。時間の流れや空間などを1コマで収めてしまうというマンガ独特のやり方です。
――『追跡者』以前は、”演出”という感覚はなかったのでしょうか?
手塚先生の影響を受けた漫画家は、映画的な演出を取り入れています。映画のようにリアルな作品を求めて劇画を描いている方も取り入れていると思いますが、池上×辻コンビは積極的に採用していますね。
映画的な演出にはいろいろありますが、劇画も一般商業誌に進出し、ページにゆとりができたことで、取り入れが容易になったということでしょう。
――池上遼一さんは、その後もさまざまな原作者とタッグを組んでいます。
辻先生とコンビを組んだときは、まだ映画的な演出に慣れていなかったそうです。小池一夫先生のようにシナリオで演出面で指定する原作者とか、さまざまなやり方をする先生方とのやりとりで、池上先生はいろんな演出を覚えていったとお話されています。
――劇画とマンガはどのような関係だと思いますか?
「マンガは子供向けのものだけではない」ということを辰巳先生たちは言いたかったんだと思います。辰巳先生が種をまいてくれたおかげで、マンガ全体も変わっていきました。手塚治虫先生も劇画を意識して、青年コミック誌にはリアルな絵でシリアスな作品をお描きになっています。
今は、”マンガ”と”劇画”のボーダーラインが曖昧になっています。劇画はマンガの鬼っ子と言われてますが、マンガの流れの中で一つの刺激剤になったことは事実です。お互いに表現の幅を広げながら大きな流れに集合したのだと思います。
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おおもとは、マンガへのアンチテーゼとして生まれた劇画。綿引勝美さんが話すとおり、既存の”マンガ”と新興の”劇画”は、相互に刺激しあいながら今日まで続いてきました。
マンガは日本が海外に誇るクールジャパンのコンテンツとして広く知られるようになりましたが、約60年前にブームを巻き起こした劇画作品の数々には、漫画家たちが試行錯誤しながら築いてきたマンガ表現の模索の跡を見ることができます。
(マグミクス編集部)
※文中一部敬称略
●綿引勝美(わたびきかつみ)
1946年生まれ。元秋田書店編集者。「まんが王」、「週刊少年チャンピオン」、「プレイコミック」などのマンガ誌編集を経て独立。1980年、編集プロダクション・メモリーバンクを興す。マンガ・アニメ関連の企画・編集のほか、マンガの原作や評論、講演などで活躍している。
(マグミクス編集部)









