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マンガ編集者の心をとらえた「ミニ四駆」タミヤの歩みとその成功の理由とは

「ミニ四駆」を含めた戦後から続く国内のプラモデルの歴史をまとめた『日本プラモデル六〇年史』(文藝春秋)の著者・小林昇さんに、かつての多くの子供たちが「ミニ四駆」に熱中した背景を聞きました。

“将来ラジオコントロールをやりたい”と思わせる

 1990年代、「コロコロコミック」(小学館)での『ダッシュ!四駆郎』の連載開始を皮切りに、国内でミニ四駆が大ブームになりました。現在は、サーキット会場に家族連れのファンが訪れるなど、その顧客層は年齢、性別も含め大きく広がっています。 

「ミニ四駆」を含めた戦後から続く国内のプラモデルの歴史をまとめた『日本プラモデル六〇年史』(文藝春秋)の著者・小林昇さんに、かつての多くの子供たちが「ミニ四駆」に熱中した背景を聞きました。

鮮やかなカラーリングの「トライロング」(2018年7月7日発売、画像:株式会社タミヤ)
鮮やかなカラーリングの「トライロング」(2018年7月7日発売、画像:株式会社タミヤ)

――「ミニ四駆」はどのようにして誕生したのでしょうか?

 以前に株式会社タミヤの田宮俊作会長にお聞きしたのですが、タミヤのプラモデルメーカーとしての大きな転換点のひとつに、昭和40年頃の「スロットレーシング」があったといいます。

「スロットレーシング」は、昭和30年代の終わりにアメリカから入ってきたもので、サーキットコースの溝に電極を流して車を走らせるという、鉄道模型と同じ構造の遊びです。残念ながら国内のブームは、小中学生がお金を持ってサーキット場に出入りすることにPTAなどの反対もあってすぐ終わってしまいます。

 それ以降、スロットレーシングで培ったノウハウみたいものを、どういった形でまた商品化していけるのかな、というのをタミヤは考えていました。それのひとつが「RC」。ラジオコントロールです。それが80年代から90年代にアメリカの西海岸で大いに売れたんです。

 俊作会長も言っていますが、80年頃は『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』などの、いわゆるSFブームがあって、スケールキットがなかなか売れない。飛行機も戦車も軍艦も売れなくて、バンダイが絶好調だったといいます。

 業界では「プラモデルはSFじゃなきゃ売れないよ」という言葉がささやかれていたそうで、その中でもタミヤはラジオコントロールカーが売れていたので、なんとか売上を保っていたといいます。

RCカー「コミカル グラスホッパー」(2018年11月2日発売、画像:株式会社タミヤ)
RCカー「コミカル グラスホッパー」(2018年11月2日発売、画像:株式会社タミヤ)

 ただ、RCカーはキットそのものは1万円未満ですが、送信機をそろえると3万円近くする。それでRCカーを買えない小中学生のために、「将来”RCをやりたい”と思わせるための商品を開発したらどうか?」ということで「ミニ四駆」が考案されたと聞きました。

「ミニ四駆」の面白さに注目したマンガ編集者

――誕生した「ミニ四駆」はどのようにして「マンガ」になっていったんでしょうか?

 最初はRCカーのイベントの一片に、「ミニ四駆」のサーキットを作って走らせていたそうです。それが予想外に子供たちから評判が良くて、人気が出た。

ブームの火付け役、『ダッシュ!四駆郎』第1巻(1988年5月28日発売、小学館)
ブームの火付け役、『ダッシュ!四駆郎』第1巻(1988年5月28日発売、小学館)

「ミニ四駆」は、スロットレーシングと異なり、走り出したら自分では制御できません。どういう遊び方ができるのかと考えて、バケツの中で走らせてみるとか、変わったコースを作ってみたり、そんなことをやっているうちに、RCのイベントに来ていた「コロコロコミック」(小学館)の編集者から「ミニ四駆をテーマにしたマンガを作りませんか」と声がかかり、マンガ化が始まったといいます。

 1982(昭和57)年7月に最初の「ミニ四駆」が発売されてから、試行錯誤の結果、スピードに特化した「レーサーミニ四駆」という商品が86年の6月に出ます。この「レーサーミニ四駆」が累計100万台を突破した87年7月に、『ダッシュ!四駆郎』の連載が「コロコロコミック」でスタートして、89年からアニメになるという経緯をたどりました。

公式「ミニ四駆アプリ」発表! 進化するミニ四駆の新製品群(6枚)

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