ファミコンブームのなか消えた「ディスクシステム」 おもちゃ屋を助ける目的もあったが
さまざまなチャレンジの土台となった

デパートのおもちゃ売り場や、当時増加していたファミコンショップには「ディスクライター」と呼ばれる大型の書き換え機が設置され、基本的には1回500円で好きなゲームをディスクに書き込めるようになっていました。
任天堂は1985年11月発売の『マッハライダー』以降2年以上の間、新規のカセットを発売しないほどディスクシステム用のタイトルに力を入れており、結果として『ゼルダの伝説』や『メトロイド』、『スーパーマリオブラザーズ2』など数々の名作が生み出されました。
ゲームを「セーブする」という概念をファミコンに持ち込んだのも、ディスクシステムです。それまでは『ドラゴンクエスト』の「ふっかつのじゅもん」のように、コマンド入力でのデータ保存が行われていましたが記録ミスも多く、多くの子供たちが無念の涙を飲んでいたのです。保存したデータを任天堂とやり取りする「ディスクファックス」機能を生かし、『ゴルフJAPANコース』では全国規模のゲーム大会も開催されました。
また、ディスクシステムは波形メモリ音源を搭載していたためファミコン本体よりも音質が良く、『悪魔城ドラキュラ』や『エスパードリーム』など音楽性を評価されたタイトルも登場しています。
他にも『ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島(前・後編)』のように、ひとつのタイトルを分割して発売する新たな形式や、ショットに音階を持たせゲーム性に生かした、音楽ゲームの元祖と言える『オトッキー』、3Dシューティングの『飛び出せ大作戦』など、在庫を持たずに済むというメリットを生かした挑戦的なタイトルを世に送り出しています。
しかしながら、技術革新によるカセット容量の増加やセーブ機能の搭載、安価な書き換え料を任天堂とメーカーで分け合う形を取ったことによる利益の減少、任天堂がゲームの著作権を共有するよう求めたことに対するメーカー側の不信感、海賊版「黒いディスク」の登場などさまざまな要因が重なり、ディスクシステムは急速に勢いを失っていきます。
スーパーファミコンが発売された1990年以降はほぼ過去作品の移植のみとなっており、1992年に徳間書店が発売した『じゃんけんディスク城』をもってディスクシステムの歴史は終わりを告げました。
それでも今なお、ディスクシステムのタイトルを愛好する方は多く、続編が発売されているタイトルも存在しています。あのとき多くの子供たちが夢中になって遊んだディスクシステムの思い出は、今もかけがえのないものとして、心に刻まれているのです。
※参考文献:ファミコンとその時代(NTT出版)上村 雅之 (著), 細井 浩一 (著), 中村 彰憲(著)
(早川清一朗)