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松本零士作品がもたらした「アニメの常識」とは 今じゃ当たり前で気づかない?

日本だけでなく世界的にも高名な漫画家のひとりだった松本零士。その残した作品群には、それぞれ多くのファンがいることと思います。そんな松本先生の功績は数え切れませんが、そんな松本先生が現在のアニメの常識を作ったこともありました。

松本零士を世に出すきっかけとなった『宇宙戦艦ヤマト』

1974年のアニメ『宇宙戦艦ヤマト(第一作)』を最終話まで収録した、「宇宙戦艦ヤマト1 DVD MEMORIAL BOX」(バンダイビジュアル)
1974年のアニメ『宇宙戦艦ヤマト(第一作)』を最終話まで収録した、「宇宙戦艦ヤマト1 DVD MEMORIAL BOX」(バンダイビジュアル)

 先日、漫画家の松本零士さんの訃報が報道されました。2023年2月13日、急性心不全のため85歳で、その生涯を閉じたそうです。

 松本先生と言えば、人によってさまざまな作品の名前が挙がることでしょう。筆者もいくつかの作品を思い浮かべますが、その中でも「週刊少年マガジン」で連載していた『男おいどん』(1971~1973年)の存在が大きかったです。

 この頃の「マガジン」は週刊少年誌売り上げ1位という人気マンガ雑誌でした。子供の頃の筆者は『仮面ライダー』や『タイガーマスク』目当てで「マガジン」を読んでいましたが、それとはまったく違うジャンルの『男おいどん』に、いつしか不思議な魅力を感じます。

 後年の松本先生の宇宙や戦場を舞台にしたマンガとは違い、『男おいどん』の主人公は四畳半の下宿に住む大山昇太という、さえない普通の男でした。この『男おいどん』は松本先生の初のヒット作とも言われている作品で、言ってみれば『男はつらいよ』のような人情味あふれる作風が人の心をとらえたのだと思います。

 そんなわけで筆者のファースト松本作品はこの『男おいどん』で、後年のSFマンガの第一人者というよりは、「人の心を繊細なまでに描く漫画家」という印象を最初にまず受けました。

 この松本先生が一気に一般的な認知度を上げたのは、やはり『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)からでしょう。ご承知の人も多いですが、この『ヤマト』における松本先生の立場はマンガ原作者ではありません。なぜなら松本先生は『ヤマト』の企画途中からメカニックデザイナーとして招聘されたからです。

 ところが松本先生は以前からアニメーション制作に興味があり、その才能をキャラクターデザインやドラマ作りなど、多方面で生かすことになりました。そのため、アニメ未経験者だったにもかかわらず、作品制作の中心である監督という肩書でクレジットされることになったのです。

 この『ヤマト』における松本先生の功績は多々ありますが、筆者が一番に挙げるとすれば「船が宇宙を旅する」という点でしょうか。これを『ヤマト』でやって見せたことで、以降、現在に至るまで「船が宇宙空間にいても不思議ではない」という常識を生み出しました。今現在でも船が宇宙船のモチーフとなることが多く、それに関して誰も不思議に思わないところにまで概念を定着させています。

 もっとも『ヤマト』はTVシリーズが打ち切りになったので、最初から大きなヒットというわけではありません。しかし、松本先生の才能はこの作品をきっかけに注目されることになりました。その最初に注目したのが、アニメ制作会社の「東映動画(現在の東映アニメーション)」です。

 松本先生はイメージクリエイターとして東映動画制作のTVアニメ『惑星ロボ ダンガードA』(1977年)、『SF西遊記スタージンガー』(1978年)に参加しました。そして、この時期には『ヤマト』も劇場公開されて未曽有のアニメブームを到来させます。

 そして、これがきっかけとなって松本先生がマンガ原作を手がけた『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978年)、『銀河鉄道999』(1978~1981年)のTVアニメ化へとつながりました。この時、時代はまさに松本零士ブームだったと言えるでしょう。

【画像】『ヤマト』『999』だけじゃない、松本零士が描いた人間ドラマ(5枚)

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