「時代を先取りし過ぎた」セガのゲーム史 ハード事業撤退がザンネン!
いまだ根強いファンを持ち、常々「時代を先取りしすぎ」と言われるセガ。ネット対戦、オープンワールド、携帯テレビも90年代に開発済みだったというから驚きです。ゲームセンターを遊園地のように変え、家庭用ゲームの常識を一変させたセガの先見性を振り返ってみましょう。
セガはもしかしたら世界一のゲーム会社になっていたかも?

ゲームセンターで稼働するアーケード機において、“五感で体感できる”大迫力のゲームなどを次々と開発したのがセガ。座って遊ぶゲームが中心だった時代に、ゲームセンターを遊園地のようなワクワクする空間に変えたメーカーでした。
常に時代の最先端を行く姿勢は昔から多くのゲームファンを魅了し、いまもなお根強い信者がいるほどです。たとえば1987年に開発された3Dシューティングゲーム『アフターバーナー』は、プレイヤーが筐体に乗り込むタイプのアーケードゲーム。コックピットがレバーの動きに合わせて4方向に激しく動くダブルクレイドル・タイプの筐体は、いままでにない臨場感を味わえるゲームとして大きな話題を呼びました。
イメージとしては、現在人気を博しているコックピット型チーム戦術バトル『機動戦士ガンダム 戦場の絆』に似ているといえばわかりやすいでしょう。同ゲームの稼働開始日が2006年であることを考えると、約20年も前にコックピット型ゲームを開発していたということになります。
このようにセガが開発するゲームは先見性に満ちていて、プレイヤーを熱狂させます。1991年には立体映像(ホログラム)を用いた、現代でいうARゲーム『Hologram Time Traveler』を開発。ゲーム内容には賛否があったものの、当時は珍しい実写の2Dアクションゲームとして画期的なゲームでした。続く1994年にはヘッドマウントディスプレイによるVRゲーム『Sega VR-1』を制作し、自分の頭を動かせばゲーム内でも視点が動く現在も開発されているような「VRゲーム」を何十年も前に制作しています。ようやく時代が追いついたか……。
しかし、セガが時代を何年も先取りしていた挑戦はゲームセンターだけにはとどまりません。セガは約20年前まで、家庭用ゲーム機を開発していました。現在は撤退していますが、過去に発売されたゲーム機でもその先見性を遺憾なく発揮しています。
セガは家庭用ゲーム機でも業界初のシステムが多く、1990年にはセガのコンシューマ機メガドライブに装着する『メガモデム』を発売。同機器は電話回線を利用して、業界初のネットワーク対戦を可能にする画期的なアイテムでした。今でこそ当たり前のように遊べるネット対戦ですが、メガモデムはスーパーファミコンと同じ1990年の発売。ガラケーの普及もままならない頃と考えると、セガの先見性には驚かされるばかりです。
そして1999年には、なんとオープンワールドゲームの先駆けになった『シェンムー』を制作。当時のゲームは始まりからエンディングまで一本道のストーリーが主流だったなか、シェンムーは自分が好きな場所を自由に探索することが可能でした。寄り道要素も満載で、ゲーム内で遊びに行けるゲームセンターにハマって多くの時間を費やしてしまった人が続出。ゲーム内でミニゲームを遊べる仕様は、現代でも『龍がごとく』シリーズに継承されているエッセンスですね。