40年前の春に激突した「三大アニメ映画」 勝負は「売上」だけで測れなかった?
いつの時代も、興行成績を争って何本もの同ジャンル作品がしのぎを削るものです。1983年3月にあった三大アニメ映画の戦いは大きなものでした。現在でも名前を知られた三作品を振り返ってみましょう。
雑誌がこぞって特集 前評判はほぼ互角だった

今からちょうど40年前。一部のファンから「1983年3月のアニメ映画戦争」と呼ばれた出来事がありました。後に大きな影響を残した映画作品どうしの熾烈な競い合いがあったのです。
当時は『宇宙戦艦ヤマト』と『機動戦士ガンダム』によるアニメブームの後、アニメ作品がひとつのコンテンツとして一般にも認識されるようになったころでした。70年代ころまでは「アニメは子供向けの作品」というイメージでしたが、この頃には高校生や大学生といったハイティーンに向けた作品が増えていました。
つまり客層がより広がったということで各社もいろいろなアニメ作品を世に出すようになってきて、これ以前にも多くのハイティーン向けアニメ作品が世に出て話題となっていました。そして、偶然にもアニメファンが注目する3つの作品が1983年3月に集中することになります。
そのひとつが3月12日に松竹富士系で公開された『クラッシャージョウ』でした。『ガンダム』を制作した「日本サンライズ」による初の全編新作画の劇場アニメです。さらに『ガンダム』でキャラデザインと総作画監督だった安彦良和さんの初監督作品で、監督・キャラデザイン・脚本・絵コンテ・作画監督の5役を兼任していました。
もともと『クラッシャージョウ』は高千穂遙さんの書いた小説で、安彦さんはそのイラストを担当しています。そういったことから当時のアニメファンには知名度は高く、アニメ化を望む声も多い作品でした。
もうひとつは同じく3月12日から東宝東和系列で公開された『幻魔大戦』です。当時の邦画で常に話題となっていた角川映画による角川アニメーション映画第1作でした。もとは平井和正さんと石森章太郎(後の石ノ森章太郎)さんの共作によるマンガ作品で、平井さんによる小説もあります。
この作品のキャラデザイン原案は漫画家の大友克洋さんで、この作品への参加でアニメ制作に興味を持つこととなって、後に国内外で高い評価を受けることとなった劇場アニメ作品『AKIRA』へとつながりました。
そして、最後の1本が1982年夏公開予定だったのが延期されて1983年3月12日に再延期、それでも間に合わずに翌週3月19日に東映洋画系列で公開となった『宇宙戦艦ヤマト 完結編』です。
この頃の『ヤマト』には往年の人気はなかったものの、根強い一定数のファン層は存在していました。実在の戦艦大和の最期と重なるような演出が事前から話題になっており、タイトルとあわせて「最後のヤマト」という雰囲気を前面に出していた作品となっています。
この3本の話題作の前評判はどれも甲乙つけがたく、事前の各アニメ雑誌の特集も平均化するとほとんど横並びという感じでした。そのため、結論から言えば3作品すべて見たアニメファンも少なくなかったと思います。しかし、「配給収入」という数字は正確に出るわけで、意外な結果が出ることになりました。