ファミコン少年が熱狂した「16連射」の始まりと終わり――ゲームライターが語る
1980年代半ば、彗星のように現れた「高橋名人」の「16連射」が、ファミコン少年たちを熱狂させました。連射ブームはいつどのように始まり、なぜ終わったのでしょうか。
連射ゲームの元祖、『ハイパーオリンピック』

1980年代半ば、ファミコンに夢中だった子どもたちの間で、自らの「連射力」を競い合った時代がありました。「16連射」のキーワードとともに語られる連射ブームはいつ始まり、どのように終わったのでしょうか。ゲームライターの早川清一朗さんが、自身の体験や当時の出来事を交えて解説します。
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日本のゲームの歴史上、最初に「連射」がクローズアップされたのは、1983年に発売されたKONAMIの『ハイパーオリンピック』アーケード版だといわれています。
1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックをテーマに作られたこのゲームは、ボタンを連打するほどキャラクターが走る速度が上がるため、こすり撃ちを始めとしたさまざまな連射方法が編み出されました。
なかには金属製の定規を反り返らせた反動を利用して、ボタンをはじいたりこすったりしていたプレイヤーもいたそうで、ボタンや筐体を傷つけてしまい、店員や駄菓子屋のおばあちゃんに叱られた、という話を聞いたことがあります。
しかしながら、「連射」という2文字をゲーム界に強烈に印象付けたのは、1985年に「16連射」をひっさげて姿を現わした、高橋名人に他ならないでしょう。
高橋名人「1秒間に16連射」の衝撃

1秒間に16連射。
小学生向けマンガ雑誌『コロコロコミック』に掲載された高橋名人の特集記事を読んだ当時の筆者は、「なんだかよく分からないけど、ゲームがものすごく上手いんだ、かっこいい!」と感じたのをよく覚えています。
おそらくファミコン全盛期だった1980年代半ばから後半に、魂を燃やしてゲームを楽しんでいた世代には、「ゲームは1日1時間!」と爽やかな笑顔を浮かべる高橋名人の姿が脳裏に焼きついている方も多いでしょう。
あるとき、高橋名人がTV番組に出演すると知った筆者は画面にかじりつき、名人がハドソンの『スターフォース』をプレイする画面が放送されるのを待っていました。
画面に姿を現わした高橋名人は、コントローラを巧みに使い、自機をまるで生き物のように操りながら合体前のラリオスのコアに1秒間で8発のショットをいとも簡単に撃ちこみ、ボーナス50000点をゲットしていました。