『まんが日本昔ばなし』の過去の「教訓」が分かる話 令和でも全く他人事じゃない?
1975年から1994年にかけて放送された『まんが日本昔ばなし』は、災害を題材にしたお話もたびたび放送され、多くの教訓を子供たちに教えてくれました。今回はそれらのなかでも今も気を付けなければならない、土砂崩れや津波についてのお話を紹介させていただきます。
自然の恐ろしさがしっかり伝わる
1975年から1994年にかけて放送された『まんが日本昔ばなし』は、災害を題材にしたお話がたびたび放送され、多くの「教訓」を子供たちに教えてくれました。今回はそれらのなかでも、今も特に気を付けなければならない、土砂崩れや津波についてのお話を紹介させていただきます。
●「箸蔵山の赤い火」:1984年11月03日放送
むかしむかし、今で言う徳島に黒々とそびえ立つ箸蔵山(はしくらやま)は、神様の住む山と信じられており、ふもとの村人たちは決して近づこうとはしませんでした。
そんなある日、水のような粥をすする生活にうんざりした男が、箸蔵山へと分け入り薪を取って売り、生活の足しにしようと考えました。女房は止めましたが男は諦めず、ついに山へと向かったのです。
その日から、男と女房の暮らしは一変しました。薪は飛ぶように売れ、白いおまんまをたらふく食べられるようになったのです。米がなくなると男と女房はふたりして山へと入り、たくさんの薪を持ち帰り、売りさばきました。
ふたりの食卓にはおまんまだけでなく、今まで食べたこともないごちそうや、酒が並ぶようになりました。こうなると、人の欲望に歯止めはききません。ふたりは次々に木を切り倒して薪にして売りさばき、村を見渡すような豪邸を建て、贅沢三昧の生活を送るようになりました。そして、箸蔵山はすっかりと「禿山」になってしまったのです。
しかしいつからか、家の軒先に箸蔵山から石つぶてが飛んでくるようになりました。そしてある大雨の日、石はどんどん数を増していき、屋根や柱を壊し始めたのです。家から飛び出したふたりが見たのは、火のように赤く光る箸蔵山でした。やがて山の斜面が崩れ落ち、ふたりの豪邸めがけて大量の土砂が流れ込みました。
ふたりは必死に走り、命からがら逃げのびました。命以外のすべてを失ったふたりでしたが、薪を恵んでくれた箸蔵山をぞんざいに扱ったことを詫び、山へ向かって祈りを捧げたのです。
土砂崩れは、現代を生きる私たちにとっても他人事ではありません。特に近年は太陽光発電の無茶な開発により、山の斜面が切り開かれて太陽電池が据え付けられるような事例も発生しています。自然を雑に扱うと痛い目に遭うものです。「箸蔵山の赤い火」は古い民話ではありますが、今も学ぶところが多いお話ではないでしょうか。