『まんが日本昔ばなし』の過去の「教訓」が分かる話 令和でも全く他人事じゃない?
津波の怖さが分かる「実話」
●「稲むらの火」:1983年11月12日放送

むかしむかし、和歌山の広村という村に、儀兵衛(ぎへい)という男が住んでおりました。恥ずかしがり屋のため30を過ぎても独り身でしたが、実は隣に住んでいる綾という女性に思いを寄せていたのです。
ある夏の日、村ではお祭りが行われていました。儀兵衛も参加しようと着替えをしていたところ、とつぜんぐらぐらと家が揺れ始めたのです。大きな地震でした。
村の古老から大きな地震の後は津波が来ると聞かされていた儀兵衛が海を見ると、海水がものすごい勢いで引いていくではありませんか。津波が来ることに気付いた儀兵衛は、たいまつを手に村の衆へ大声で避難するよう呼びかけましたが、祭囃子に邪魔されて声が届きません。
村の衆のところへ走って行っても間に合わない。そう判断した儀兵衛は、考えあぐねたあげくに「稲むら」に火を付けることにしました。稲むらとは刈った稲を干すために積み重ねたもので、とても大事な食料であり、財産です。人さまの稲むらに火を付けるのをためらった儀兵衛は、自分の稲むらに火を付けることにしました。
そして、稲むらが燃えていることに気付いた村人たちが、火を消すために駆け寄ってきます。続々と集まってくる村人たちに、儀兵衛は津波が来るから逃げるよう叫びます。大きな津波は、もうすぐそこまで迫っていました。
慌てて逃げ出す村人たち。儀兵衛も綾の祖母を担いで一生懸命山に登り、間一髪で生き延びることが出来ました。村は津波に呑まれましたが、村人は全員が助かりました。その後、儀兵衛は村人、そして妻となった綾と力を合わせ、高くて頑丈な堤防を築いたそうな。
「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)に発生した、安政南海地震による津波にまつわる史実を元にした物語です。主人公の儀兵衛は、現代ではヤマサ醤油と呼ばれる企業の当主を務めていた、濱口儀兵衛(梧陵)がモデルとなっています。
史実では夕方に襲来した津波により村が滅茶苦茶になり、そのまま夜を迎えたため逃げ遅れた村人が暗闇のなかでさまよう事態となっており、避難誘導のために稲むらに火を付けたとされています。このとき深夜に一番大きな津波が押し寄せていたため、もし火を付けるのを躊躇したなら多くの犠牲が出ていたことでしょう。なお物語では死者は出ていませんが、実際には30人が亡くなられたそうです。
日本に住んでいる以上、地震・津波のリスクは避けられません。「稲むらの火」海の近くに住んでいて、自身が起きた時どうすればいいのか、子供にもよく分かるお話です。やはり『まんが日本昔ばなし』は、絶えず必要とされ続けている存在ではないでしょうか。
(ゆうむら)