『千と千尋』のカオナシと千尋には、身近な問題解決の「ヒント」が
暗い世相のなか、観客の心を打った千尋の振る舞い
当時の日本はバブル崩壊後の経済低迷期にあり、新世紀を迎えても明るい未来社会を見通すことができない不透明な時代でした。また、1995年に地下鉄サリン事件、97年には神戸連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)、公開直前の2001年6月には大阪府池田市で小学生無差別殺傷事件が起きるなど、凶悪犯罪が多発していた時期でもあります。
そんな暗い世相だったからこそ、決して美少女でもなく、特殊な能力を持っているわけでもない平凡な女の子・千尋が知り合いの誰もいない世界でひたむきに働く姿に、多くの人々は心を動かされたのかもしれません。
千尋は自分の力で手に入れた仕事を通して、少しずつ信頼関係を築いていきます。さらに千尋は、異界に足を踏み入れたばかりの彼女のピンチを救ってくれた少年・ハク(声:入野自由)に掛けられた呪いを解こうと奮闘します。利害関係を超えた大切なつながりを、千尋はハクに感じていたのです。
千尋は、暴れ回って「油屋」を滅茶苦茶にしたカオナシに対しても拒絶することなく、ハクの呪いを解くための旅に伴うことになります。「油屋」には居場所がなかったカオナシですが、旅先では自分を必要としてくれる人物との出会いが待っています。表情の乏しかったカオナシが、最後にはとても幸せそうな顔を見せることになるのです。何度観ても心を和ませるシーンです。
カオナシは決して異界だけに生息する魔物ではありません。ちょっとした環境の変化によって、誰もが千尋やカオナシになりうる可能性があるのではないでしょうか。コミュニケーションできない相手との間に壁をつくるのではなく、千尋のように自然に接することができれば、どんなに素晴しいことでしょうか。釜爺(声:菅原文太)やリン(声:玉井夕海)らが、経験の少ない千尋の支えになっていることも見逃せません。
マスコミを騒がすような凶悪な事件を防ぐことは容易ではありませんが、自分の周辺で起きている小さな事件に対する解決のヒントが、千尋の言動には隠されているように思えます。
宮崎駿監督が10歳の子どもたちに向けて作ったという『千と千尋』を改めて見直すと、現代の黙示録のような、深遠な世界であることに気づかされるのです。
(長野辰次)