「NINTENDO64はCD-ROM機だったのでは」 開発現場でプログラマーが指摘 真相は闇の中?
27年前に発売された「NINTENDO64」は、当時の王者・任天堂に大きな逆風を吹かせた不遇のハードでした。その要因はさまざまあり、こうした話は随所で語られてきたので、今回は趣向を変えて当時開発に携わった筆者の体験を交えた話をお伝えします。ある時、筆者の同僚プログラマーが気になる発言をしたのですが、その内容とは……?
同僚プログラマーが抱いた「64」本体構造への疑問
今から27年前の1996年6月23日は、「NINTENDO64」の発売日でした。カタカナで書くと「ニンテンドウ64」。「ニンテンドーDS」などと異なり「ニンテンドウ」です。また「64」は「ロクヨン」ではなく「ロクジュウヨン」です。
スーパーファミコンの後継機なので、正式名発表前は「ウルトラファミコン」と呼ばれたりもしましたが、1993年、最初に開発が発表された際のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」でした。
思い返せば、この「リアリティ」とは恐らく3D表現のことだったのでしょう。93年は初代PlayStation発売の1年前でしたが、「ポリゴン」が一気に身近になった年と言ってよく、アーケードゲームでは『リッジレーサー』(ナムコ)や世界初の3D格闘ゲーム『バーチャファイター』(セガ)が登場しました。3D表現を前提にしていなかったスーパーファミコンでも、特殊チップを搭載した『スターフォックス』(任天堂)が発売されています。
さて「64」は非常に高性能で、名作も多いのですが、容量の少ないROMカードリッジをゲーム媒体にしたことなど、さまざまな要因で売り上げが伸び悩み、完全にPlayStationやセガサターンの陰に隠れて任天堂は王者の座を明け渡してしまいました。その後のターニングポイントになるハードなので、この手の話はこれまで数多く語られています。そこで今回は少し趣向を変え、当時開発に携わった筆者の体験を交えた話をしてみたいと思います。
筆者がコンシューマーゲーム開発会社に在籍していた当時、「64」の開発にも着手することになりました。このハードは開発にワークステーションという業務用パソコンが必要でした。これは機械の名前ではなく「サーバー」とか「タブレット」といった分類名です。
科学技術計算、CAD、グラフィックデザインなどに特化していて、OSはUNIX(ユニックス)、1台100万円以上するような高価なものでした。会社にはシリコングラフィックス(SGI)社の「Indy」「Indigo2」が多数届きましたが、当時、PlayStationの開発はWindowsかMacだったので、このワークステーションはほぼ「64」開発専用でした。みんな勝手の違うUNIXに戸惑いながら、取り組んだものです。
そんなある日、プログラマーさんが言いました。「64は元々、CD-ROM機だったんじゃないか」と。開発者しか知らない秘密の匂いがします。いったいどういう意味だったのでしょうか?