迷子先生の連載復活! 季節によって変化する猫の愛称 変幻自在のかわいさで世界征服も?
迷子先生の描き下ろしエッセイ『妄想猫観察』の連載を再開します。猫の「変幻自在な体」は、時にいろいろな物体に見えてしまう。だとすると、ありえない形の物体でも「猫です」と言われると……?
猫の「形」って?
猫への愛称は度々変化する。
今の季節であれば猫の事は主に「大きめの毛虫」と呼んでいる。道で蠢(うごめ)いている毛がふわふわの毛虫と、日に当たって横に伸びている猫の姿が極めて似通っているからだ。ふいに目に入るとまるで猫には見えずオッとなる。動物園に行って土穴に顔をツッコんでいるウォンバットを見れば尻の様子の近似により愛称はウォンバットになるし、TVでカワウソを見て耳を隠した様子が近似であれば愛称はカワウソに変化する。
猫はやわらかく可変であるため、これはかわいい!と感じた物は大体猫の愛称になるのだ。それもこれも猫がぐねぐねと変化自在なせいだ。これだけ可変だと、猫です!と名乗ってきた高次元の存在すら猫と認めざるをえないかもしれない。
しかしこの愛称つけたい欲は、海外の映画などでよく見る恋人への愛称みたいなものなのだろうか。ベイビーとかエンジェルとかチェリーパイとかなんとかいうあれらだ。猫が最上級に可愛いのだから本来たとえようがないのだが、たまには言い方を変えてきゃっきゃうふふと戯(たわむ)れたくなってしまう。多分この先も、この世で出会ったすべてのかわいいと感じた印象をそのまま横にスライドさせ猫に当てはめて生きていくのだろう。
猫は可変である。猫は時に、毛虫であり象であり犬でありコロッケでありカワウソでありカイワレであり木の実でありビスケットであり小さめのエビなのだ。猫への愛称を切らさないためにも、かわいい・センサーを鋭くさせていきたいものである。
(迷子)