【漫画】死のうとしている若者 それを聞いた友人は「最後の飯行こうぜ」と誘い? 確かな友情に「刺さる」
唯一の友人に「あした、死のうと思って」と伝えた若者。友人は特に止めるわけでもなく、彼を外食に誘い「来週は別のメニューを食べにこよう」と言い出して……。今、生きづらさを感じる人にもぜひ届いてほしい吉本ユータヌキさんの作品を紹介します。
誰かに気持ちを話せば、変わることもある

生きることに苦しさを感じている若者が、友人に「あした、死のうと思って」と伝えました。友人は「そっかそっか」と言いつつ、彼を「最後の飯」に誘います。ふたりはお店で一緒に夕食をとりますが、そこで友人は「別のメニューもおいしいから来週食べにこないか?」と言い出して……。
Twitterで発表された吉本ユータヌキさん(@horahareta13)のマンガ『あした死のうと思ってたのに』が、大きな反響を呼んでいます。「あした、死のうと思って」と伝えた若者は家庭内でのトラブルなどを抱えているのですが、一方で実は友人のほうもつらい思いに悩まされていました。寄り添い合うふたりの心の動きが、等身大でリアルに描かれた物語です。
スペースの都合上、全ての感想を紹介することはできませんが、本作には読者から非常に多くのコメントが寄せられています。さまざまな見方があるなかで「刺さる」「泣いた」といった共感の声が目立ち、作者に「ありがとう」と伝えている読者が多いことも印象的でした。Twitter投稿には12.6万いいねがつき、リツイートも2.5万件を超えています。
作者の吉本ユータヌキさんに、お話を聞きました。
ーー本作のお話はどのように生まれましたか? 最終的な完成形になるまでに、かなりの試行錯誤もあったのでしょうか。
この作品の1コマ目の「あした、死のうと思って」は、僕が17歳の時に思っていたことなんです。人付き合いが苦手で、学校で友達ができなかったり、両親が不仲で家にいることがしんどくて、当時住んでた11階の家の窓に足をかけて「ここから飛び降りたら嫌なこと全部なくなるかな」と考えていました。
でも、僕にはそこから動くことができなくて、その後すぐバイト先の先輩に教えてもらった音楽に救われました。それがきっかけで毎週バイトの給料を持ってタワレコでCDを買い漁るという楽しみを見付け、10代は命をつないでこられたと思っています。
最近、そんな10代の頃の気持ちを思い出すことがあり、「あのとき、苦しかったことを話せる友達がいたらよかったのにな」って思ったんです。それを言っても今から過去が変わるわけではないんですけど、もしマンガにすることができれば、思い出して苦しくなる気持ちが少しだけ楽になるんじゃないかと思い、僕のなかの「こんな友達いたら」を形にしました。
試行錯誤はそこまで大きいものではなかったんですけど、当時の自分の気持ちを思い出すたびに息苦しくて、メンタル面で苦労しました。描いていた時期は、各回を描き終わるたびにぐったりしていました。
ーーとても大きな反響を呼んでいます。その理由を、ご自身ではどのように分析なさっていますか?
それが分からないんです。今までマンガを作るときには「これが伝えたい」「こう感じてほしい」という明確なメッセージ性を持たせて描いてたんですけど、今回に限っては、読む人のなかにある経験や価値観に照らし合わせながら読んでもらいたいと思い、セリフをできる限り減らしました。
なので、たくさん反響をもらった理由やどう感じてもらえたのかは、感想としていただいた文面以上の想像はできてません。そういう意味では、読んで下さった方々がそれぞれの感情移入の仕方で楽しめる作品を作れたのかもと思いました。
ーー登場人物のセリフを考えるうえで、特に気を配った点などがあればお聞かせ下さい。
僕は創作マンガを描いた経験がほとんどなくて、まだまだ作者にとっての都合のいいセリフを描いてしまうことが多くあるんです。なので、今回は「自分がこのキャラクターならどう言うか、何を感じるか」というのを強く意識しました。変にキレイなことや、感動するようなセリフはなしにして、等身大の会話であることに気を付けました。

ーー作中ではふたりの主要な登場人物だけでなく、店長の存在がとても大きかったようにも感じます。店長を登場させた理由を教えて下さい。
10代の自分を投影させた話なんですけど、当時の自分なら気付けないことが多く、さらに頭で分かっていてもプライドが邪魔することもあるだろうと思ったんです。そこで、セリフの話と同じく「作者にとって都合よく理解できるキャラを作るのはやめよう」と思い、理解者の立場になれる大人として、ある意味で「今の自分」を入れることにしました。
また、本当はふたりで解決できるのがいいと思ったんですけど、リアルな人生のなかでもそう簡単にはいかないと思っていて、店長のように助けてくれる人は身近にいるんだよってことも伝えたいと思っていました。
ーー作品に対する読者からの反応では、どのような声が特に印象に残りましたか?
冒頭の「あした、死のうと思って」と友達に打ち明けるところに対して、「本当に苦しんでる人はそんなこと言えない。そこに構ってほしいというメンヘラ感があって、すごく不快だった」という感想が印象的でした。たくさんうれしい感想が届くなかで、貴重な批判的なコメントなんですけど、考えさせられました。
前述の通り、このマンガは僕の「こうなったら良かったのに」を描いたものなんですけど、実際にこんな友達がいても、おそらく僕は気持ちを打ち明けることはできなかったと思います。暗い気持ちを言うことで、相手に心配をかけたり、迷惑になるんじゃないかなと考えたりして、結局同じようにひとりで悩んでたと思うんです。
だから、今の自分から当時の自分に向けて、このマンガを描いたんだと思います。つらい気持ちを人に聞いてもらうことは、構ってほしいということでも、メンヘラでもなく、決して悪いことじゃなくて、受け入れてくれる人がいるんだよって言いたくて。
ーー物理的にも心理的にも「誰かに打ち明けることが何より難しい」というケースはやはり多いように思います。作中の「音楽に逃げること」は、別のもうひとつのポイントではないかとも感じました。その点はいかがでしょうか?
この作品は結末を決めず、各回ごとにテーマを設けながら描き進めていたんですが、5話目を描いたときに「当時の自分は何を望んでいたんだろう」と考えたんです。その答えが「居場所が欲しかった」ということだと思いました。気持ちを話せる友達、安心できる家庭、何も怯えることのない学校生活のように、自分がそこにいてもいいんだと感じられる場所が欲しかったはずなんです。
でも、実際はそんな居場所を作れず、僕が唯一居場所と感じられたのは音楽でした。音楽を聴いてるときは感情を素直に出すことができ、当時どこに行くときもMDプレイヤーをすごく大事に持っていた記憶があるんです。
人に寄り添える、寄り添ってもらえるといいんですけど、もしそれができない状態にある人には、音楽だけは逃げずにそこにいてくれて、自分のために流れてるんだよってことが伝わればいいなと思って描きました。
ーー吉本ユータヌキさんにとって、作品づくりのモチベーションとなっているものは何でしょうか?
最近は、自分が生きてきたなかで作った傷を眺めて笑えるようになりたいと思って描いています。過去のことを今から変えることはできないし、「いい思い出」で塗り替えることもできないと思ってるんです。それならせめて「その傷があったから描けた」という事実をたくさん作っていくことで、ちょっとずつ楽になっていけるんじゃないかなと。
そこに同じような傷を作った人が集まって、読んでくれて、その人たちもちょっと何か考え方が変わっていくようなことが起きればいいなと思っています。
●吉本ユータヌキさん 前回のインタビュー
(マグミクス編集部)