50案近くボツ? ジブリの名コピーを生み続けた糸井重里の知られざる苦労
難しすぎてダメ出し!?『火垂るの墓』の名コピー

糸井さんの知られざる苦労は、ほかにもまだまだあります。『火垂るの墓』のキャッチコピーは「4歳と14歳で、生きようと思った。」というコンパクトながらメッセージ性の強いものですが、初期案は「これしかなかった。七輪ひとつに布団、蚊帳、それに妹と螢。」と今よりだいぶ異なるコピーでした(鈴木敏夫さんの書籍『ジブリの仲間たち』より)。
その背景には野坂昭如さんの原作小説の出版社で、『火垂るの墓』の製作(出資)を担う新潮社から「難しすぎる」との注文が入り、現在の形に作り直したというエピソードがあるそうです。
ちなみに『ジブリの仲間たち』によると、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は出資者が異なりながらも制作はスタジオジブリが行い、2作品を劇場で同時上映するという異例のスタイルをとっていました。
当然、それぞれがどのように協力していくかさまざまな議論があったそうですが、それを見事に解決したのが糸井さんの存在でした。世間に名が知られ、新潮社からも本を出版している彼なら「みんな黙って言うことを聞くだろう」ということで、ジブリは糸井さんとタッグを組んだといいます。
抜擢の理由には、ちょっとした「大人の事情」が絡んでいたのですが、その後糸井さんが生み出したキャッチコピーは素晴らしいものばかりでした。『となりのトトロ』のキャッチコピー「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」も、もちろん発案者は糸井さんです。
ただ、これにもちょっとしたドラマがあり、彼が当初考えた初期案は「このへんないきものは、もう日本にはいないんです。たぶん。」という、トトロたちの存在を否定するような内容でした。しかしこのコピーを見た宮崎監督が、存在を肯定する内容に変更するよう指摘して今の形に至ったといいます。この話は「金曜ロードショー」で『となりのトトロ』が放映された際、同番組の公式Twitterで裏話として紹介され、「今の方が断然いい」とのコメントもついていました。
そして『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を結びつける同時上映のポスターに付いたブリッジコピーが、「忘れものを、届けにきました。」です。正反対な内容ながらも、ちゃんと意味が作品にかかっている、秀逸なコピーとなっており、『ジブリの仲間たち』のなかで鈴木さんは「プロの技というものを感じました」と絶賛していました。
ほとんどのキャッチコピーは数文字から数十文字で構成されていますが、いずれも決して簡単には生み出せません。その裏で悪戦苦闘を繰り広げていた糸井さんは、間違いなく「ジブリの仲間」なのでしょう。
(ハララ書房)



