『時をかける少女』昭と真琴の「その後」は? 名セリフ「未来で待ってる」に込められた真意
『時をかける少女』の物語終盤、千昭は真琴に「未来で待ってる」と言い残し、彼女の前から姿を消しました。同シーンは作中屈指の名場面としても知られていますが、ふたりの状況から考えると、彼のセリフは矛盾しているようにも思えます。はたして千昭はどのような想いで「未来で待ってる」と伝えたのでしょうか。
「未来で待ってる」は告白? それとも……
2023年7月7日より2週間限定で、細田守監督作品『時をかける少女』の再上映が始まりました。同作といえばタイムリープをモチーフにしたSFファンタジーでありながらも、未来からやってきた千昭との淡く切ない恋愛模様を描いた青春ストーリーです。物語終盤、彼が主人公の真琴に言い放った「未来で待ってる」は多くの人をときめかせてきましたが、はたしてその言葉にはどのような真意が込められているのでしょうか。
今回は『時をかける少女』再上映に伴い、作中屈指の名場面を振り返ります。
そもそも千昭は春に真琴の学校へとやってきた転校生で、親友の津田功介と3人で楽しい高校生活を送っていました。しかしそんな彼の正体は、遠い未来からタイムリープしてきた未来人。物語のラストでは真琴に想いを寄せながらも、元の時代へ帰ってしまいます。
その別れ際に放った言葉が「未来で待ってる」であり、これに対して真琴は「うん、すぐ行く。走っていく」と返しました。しかし作中で千昭が「川が地面を流れているのを初めて見た」「こんなに人がたくさんいるところを初めて見た」と語っていることから、恐らく彼の住む時代は今よりもっと先の荒廃した未来のはずです。
つまりもう一度タイムリープしない限り、ふたりが再会する可能性は極めて低いことが考えられます。
そのため矛盾が生じる「未来で待ってる」というセリフには、「未来で待ってる=ずっと想ってるの意味で、あれは千昭の告白だった」「真琴に前を向かせるための優しい嘘」「実は千昭は未来で真琴と再会できることを知っていたのではないか?」など、さまざまな解釈がなされてきました。
なかでも特に有力視されているのが 「未来で待ってる=『白梅ニ椿菊図』を未来に残すこと」とする説です。
白梅ニ椿菊図とは、歴史的な大戦争と飢饉の時代に描かれたとされる絵画で、作中のキーアイテムでもありました。千昭のいる未来ではすでに消失しており、彼はその絵をひと目見るために現代へタイムリープしています。
しかし劇中において、千昭が白梅ニ椿菊図を見た描写はなく、代わりに真琴が「あの絵、未来へ帰ってみても、もうなくなったり燃えたりしない。千昭の時代にも残っているように何とかしてみる」と告げています。
つまり白梅ニ椿菊図を未来に届け、千昭が未来でこの絵を見る行為こそが「未来」と「過去」を繋げる行為であり、肉体は存在せずともふたりの気持ちが未来で再会する可能性を示していたのではないでしょうか。
また作中に登場する「魔女おばさん」こと真琴のおばさんは、原作小説の主人公である芳山和子と同一人物とされています。彼女もまた未来人と恋に落ち、最後に「また会いに来る」という約束を交わして別れており、映画本編を見る限り和子はその人と再会できていません。
それでも劇中で「あなたは私みたいなタイプじゃないでしょ」「待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ?」と真琴に助言しているのは、もう未来にはいけない自分とは違い、真琴と千昭には未来と過去に気持ちを繋げる「白梅ニ椿菊図」という共通の絆があったからではないでしょうか。だからこそ和子は、真琴の背中を押したとも考えられそうです。
千昭と真琴の再会が一体どのように果たされるのか、観る人によってさまざまな解釈ができるのも『時をかける少女』の魅力のひとつと言えます。
「未来で待ってる」。あなたなら千昭のセリフをどのように解釈しますか?
(ハララ書房)