宮崎吾朗の『ゲド』『コクリコ坂』での父・駿との関係とは 監督としてタイプが違う?
『コクリコ坂から』『ゲド戦記』『アーヤと魔女』を監督した宮崎吾朗さんは、未経験からスタジオジブリ作品の監督を務めることになりましたが、そこで待っていたのは父・宮崎駿さんとの壮絶な「親子喧嘩」でした。良い映画を制作するために衝突した、ふたりのエピソードを紹介します。
映画『ゲド戦記』の監督に抜擢されるも、父である宮崎駿監督の評価は……
2006年に公開された映画『ゲド戦記』で監督を務めたのは、宮崎駿監督(以下、宮崎監督)の息子・宮崎吾朗さん(以下、吾朗さん)です。しかし、父親である宮崎監督は、吾朗さんが監督を務めることに猛反対でした。『ゲド戦記』に続き、本日2023年7月14日に「金曜ロードショー」で放送される『コクリコ坂から』(2011年)でも繰り広げられた親子喧嘩についてのエピソードを紹介します。
吾朗さんはもともとアニメーション関係の仕事に就いていたわけではなく、設計事務所で建設コンサルタント、環境デザイナーとして働いていました。『ジブリの教科書14 ゲド戦記』によると、スタジオジブリが「三鷹の森ジブリ美術館」を作る際、吾朗さんが建築や法律に関する専門知識を持っていたため、鈴木敏夫プロデューサーから責任者に抜擢されたそうです。
美術館建設にあたってさまざまな問題が発生したものの、それらを着実にクリアしていった吾朗さんの仕事が評価され、美術館完成後には館長を務めることになりました。その後スタジオジブリが『ゲド戦記』を映画化することが決まったのですが、宮崎監督はその頃『ハウルの動く城』の制作にかかりっきりでした。そこで、鈴木プロデューサーが吾朗さんを監督に推薦したのです。
しかし、『ゲド戦記』の原作は、宮崎監督が長い間愛読し、映像化を熱望していた作品でした。同じく『ジブリの教科書14 ゲド戦記』によると、鈴木プロデューサーが『ゲド戦記』の監督に吾朗さんを推した際、宮崎さんは猛反対したそうです。その際、宮崎監督は「あいつ(吾朗さん)は絵が下手だ」と、辛辣なコメントを放ったといいます。
同著によれば、鈴木プロデューサー自身にも、最初は不安があったそうです。しかし、吾朗さんが描いた「主人公・アレンと竜が見向き合っている絵」は、宮崎監督をも唸らせる出来栄えでした。また、その後吾朗さんが描いた絵コンテも、ジブリのベテランスタッフたちを納得させるほどのクオリティだったそうです。
そしてもうひとつ、吾朗さんには「スタッフをまとめる」才能がありました。圧倒的な才能によって周囲を引っ張っていく宮崎監督とは違い、吾朗さんはスタッフへのきめ細やかな配慮によって、ともに作品を制作する彼らの心をつかんでいったのです。
それまでは「自分だって監督をやりたいのに不公平だ」と、スタジオジブリのスタッフの間でも不満が出ていたそうですが、吾朗さんはそんな空気を、確かな実力と周囲への気配りで、良い方向に変えていきました。