ファミコン少年に歓迎された「ディスクシステム」 人気の影に「黒ディスク」の存在も
1986年、高価なファミコンカセットを買えない子供たちの前に現れた「ディスクシステム」は、安価にソフトを書き替えできることから人気となりました。しかしその人気の影で、ある問題も引き起こしていました。ゲームライターの早川清一朗さんが、当時の思い出を語ります。
新作ゲームが「500円」で遊べた
「やればやるほど、ディスクシステム♪」というCMのキャッチコピーを覚えている方はいるでしょうか。
筆者の脳にはがっちりと刻み込まれています。
1983年に発売されたファミリコンピュータでは、数多くの周辺機器が発売されました。その中でも人気があったのが、ゲームを書き換えできる「ディスク」というメディアを使用した、「ディスクシステム」です。書き換え費用は1回500円と、1本数千円するカセットと比べると安価で、乏しい小遣いをやりくりしていた当時の子供たちからは大歓迎されていました。
ディスクシステム末期には1回600円のタイトルも登場したようですが、残念ながら筆者は見たことがありません。説明書は100円で売られていたり無料のコピーだったりと、お店によって対応はさまざまだったように記憶しています。
書き換え自体はおもちゃ屋などに設置されていた「ディスクライター」という機械で行われており、当時は頻繁に目にすることができましたが、1993年には全て撤去されてしまっています。
ディスクにはA面とB面があり、容量が少ないゲームであれば片面だけで収まるため、A面には『スーパーマリオブラザーズ2』、B面には『バレーボール』のように、1枚で複数のゲームを楽しむこともできました。とはいえ、1本でディスクの両面を使用するゲームに書き替える時は、2つのゲームを同時に失うという葛藤も生まれたわけですが。
ディスクシステムで発売されたタイトルからは、多くの名作が生まれました。『悪魔城ドラキュラ』『メトロイド』『光神話 パルテナの鏡』など思い返せばキリがありませんが、やはり筆頭に挙げられるのは『ゼルダの伝説』でしょう。ディスクシステムと同時に発売されたローンチタイトルでもあり、主人公のリンクはマリオと並んで任天堂の代表キャラクターとなり、今なお続編が発売され続けています。
また、ファミコン本体とディスクシステムを合体させた「ツインファミコン」もシャープから発売されました。高価ではありましたが、これも人気となりました。