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なぜに? 『ナウシカ』音楽は「YMO」細野晴臣が担当するはずだった 交代劇の真相とは

宮崎駿監督の長編作品は『風の谷のナウシカ』から最新作『君たちはどう生きるか』まで一貫して久石譲さんが担当してきました。しかし、『ナウシカ』の音楽は公開直前まで別の人が担当する予定でした。なぜそのような交代劇が起こったのでしょう?

宮崎駿・高畑勲が求めていた『ナウシカ』の音楽とは?

『風の谷のナウシカ』の音楽を収録した「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)
『風の谷のナウシカ』の音楽を収録した「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)

 宮崎駿監督『風の谷のナウシカ』(1984年)の音楽を担当したのは久石譲さんです。久石さんは、最新作『君たちはどう生きるか』まで一貫して宮崎監督による長編アニメーション作品のすべての音楽を担当しています。宮崎作品には久石さんの音楽が欠かせないと言っていいでしょう。

 ところで、『ナウシカ』の音楽は当初、他の作曲家が務める予定でした。イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)などで活躍したミュージシャンの細野晴臣さんです。細野さんの名は、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが複数のインタビューなどで明かしています。

 久石さんのエッセイ『I am 遥かなる音楽の道へ』(メディアファクトリー)によると、細野さんが音楽を担当することは「一〇〇パーセント決まっていた」そうです(エッセイでは名前は伏せられていました)。ところが、映画公開直前で久石さんに交代することになりました。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。

●久石譲さんが作ったイメージアルバム『鳥の人…』

『風の谷のナウシカ』は、徳間書店のメディアミックス戦略の一環として生み出された作品でした。その音楽面を司(つかさど)っていたのが、グループ会社の徳間ジャパンです
(現在は第一興商グループ)。プロジェクトに徳間ジャパンが加わることで、映画本編の音楽に潤沢な予算を使うことができるというメリットもありました。

 1983年の夏、久石さんは「風の谷のナウシカ イメージアルバム 鳥の人…」を制作します。久石さんを推薦したのは徳間ジャパンの担当者でした。このとき、久石さんは30代前半の新進気鋭の作曲家でしたが、知名度はほとんどなく、宮崎監督も高畑さんも彼のことはまったく知らなかったそうです。

 原作を読み、宮崎監督からレクチャーを受けて、イメージを膨らませた久石さんは、シンセサイザーを中心に、ケーナやタブラ、ダルシマ(ピアノの一種)などの民族楽器を絡めてサウンドを構築。83年8月から9月にかけて1か月ほどでレコーディングを終わらせ、11月25日に発売されました。

 イメージアルバム『鳥の人…』には、久石さんが得意としていたデジタルサウンドだけでなく、『風の谷のナウシカ』が持っている中世的な雰囲気や中東風の響きが散りばめられていました。

●高畑勲さんの劇伴音楽に対する考え方

 出来上がった曲を宮崎監督と高畑勲プロデューサーは非常に気に入ります。特に音楽通で知られる高畑さんは、映画やアニメの劇伴音楽には「ある種のローカルカラー」や「地方色」が必要だという考えを持っていました。西洋音楽を基盤にしたありきたりの劇伴音楽ではなく、描かれている風土を感じさせるような音楽が必要という考え方です。

 高畑さん自身が監督した『アルプスの少女ハイジ』(74年)では、スイスのアルペンホルンやヨーデルを駆使した音楽を効果的に使用していました。また、クラシック音楽も巧みに使っています。後の監督作『赤毛のアン』(79年)でもこの方針は引き継がれました。

 一方、高畑さんは当時流行していたニューミュージックに対して批判的な態度を取っていました。特に日本語の響きを大切にしていない部分を問題視しており、一例としてイモ欽トリオのヒット曲「ハイスクールララバイ」を挙げています(『映画を作りながら考えたこと』徳間書店)。

 イメージアルバム『鳥の人…』は宮崎監督も高畑さんも納得の出来栄えでしたが、『ナウシカ』本編の音楽担当者の人選は難航していました。イメージアルバムと本編の音楽担当者は別だと考えられていたのです。このとき挙がっていた名前が、細野晴臣さんでした。

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