子供の頃に見た『対馬丸 さようなら沖縄』 戦争描写は「トラウマ級」、同年代の子供たちが次々と海へ
かつては学校で、『はだしのゲン 劇場版』など、子供たちに戦争の悲惨さを伝えるアニメを放送することがしばしばありました。それらの作品のなかでも「トラウマ作品」として名前が挙がるのが『対馬丸_さようなら沖縄』です。作中では学童疎開船・対馬丸の沈没により子供たちが死んでいくシーンが次々と描かれ、戦争の悲劇を余すことなく伝えています。
日本本土への「疎開」を余儀なくされた沖縄の子供たち
戦争の悲劇を伝えるアニメ作品として、『はだしのゲン 劇場版』や『この世界の片隅に』など、数多くの傑作が知られています。しかしそれらの作品と比較しても、『対馬丸 -さようなら沖繩-』は、実際に起こった「対馬丸事件」子供たちがあっけない死を迎えるシーンが多数描かれる、トラウマ作品として知られています。かつて子供時代に学校で上映されて戦慄(せんりつ)した記憶をもつ方も多いのではないでしょうか。同作品の設定、ストーリーを改めて振り返ります。
1944年の夏、沖縄は間もなく戦場になろうとしていました。
主人公の具志堅 清は仲の良い友達、勇や健治とともに那覇国民学校に通う少年です。いつかヤマト(本土)へ行ってみたいと夢見る清でしたが、校舎は兵舎として接収され、子供たちは倉庫で授業を受けなければいけないほど、戦況は切迫しつつありました。
沖縄に子供たちを置いておけば、戦争の犠牲になるのは明らかです。食料を節約する必要もあり、子供たちを本土へと疎開させることになりました。
担任の宮里先生は「軍艦に乗っていくから絶対に安全だ」と親を説得し、友だちと一緒にヤマトに行けることになった清は飛び跳ねて喜びました。このとき、待ち受けている悲劇を予想していた人など、どこにもいなかったのです。
1944年8月21日、子供たちを始めとする5000人の疎開者と見送り人が那覇港に集まりますが、乗る船は約束されていた軍艦ではなく、輸送船「対馬丸」でした。午後6時35分、対馬丸に乗りこんだ清は、お母さんに見送られながら、沖縄を後にしたのです。
船中では救命胴衣の着用訓練をしたり、縄梯子を使って船倉から甲板へと上がる練習をしたりと、いざという時に備えた準備が行われていました。
そんな折、たまたま海を見つめていた生徒の一人が潜水艦の潜望鏡を発見し、急いで船員に知らせましたが、船員が来た時には既に潜望鏡は姿を消しており、信じてはもらえなかったのです。
そして翌8月22日の午後10時12分ごろ、米潜水艦の魚雷攻撃を受け、対馬丸に乗り込んでいたすべての人の運命は暗転してしまいました。