猫の尻尾がもっと人に身近であったなら 利便性に「意外とありでは?」
漫画家の迷子さんによる描き下ろしエッセイ『妄想猫観察』連載第56回。猫の尻尾がもっと人の身近にあったなら、「手が離せない」はどう変わる?
手が作れるならぜひ尻尾も!
虚空をながめている猫にそっと近寄り手のひらを差し出して、開いたり閉じたりを繰り返す。猫の気が向けば、尻尾を手のひらに乗せてくれる。こちらの手に捕まらないように、尻尾をぱたぱた動かしてくれるのだ。なぜこんなことをしてくれるのかはわからないが、暇だからなんとなくあやしてくれているのだろう。多分。尻尾があるというのはどういう感覚なのだろうか。見ていると、かなり便利に動かせるように思える。
身体拡張技術の記事や本を見たことがある。人間の腕をロボットアームで6本に増やしていた。見た目的にはWAOクール!と走り回りたくなるようなもので、とてもよかった。
あれは、尻尾は作らないのだろうか。せっかく新しく追加するのなら尻尾も悪くないのではなかろうか。猫のみならず、猿やらを見ても木に巻き付けて体を支えたり食べ物を取ったりと、尻尾をとても器用に使っている。人も猿の一種みたいなものだし、いっちょいけるのでは?と思ってしまう。
仮に尻尾をつける技術ができたとしたら、そしてそれが普及したとしたら。「手一杯」「手が足りない」のような尻尾に関連した慣用句も、発生するのだろうか。「尻尾一杯」良い響きだ。「猫の尻尾も借りたい」これはいまでも借りたい物だ。「諸尻尾を上げる」なんだこれは。
なってみないと分からないが、普及すればきっと思いもよらぬ慣用句が発生するに違いない。技術に引っ張られて体や脳の造りも変わっていくだろうし、尾てい骨が再び伸びてきても不思議ではないような気さえする。手よりは不器用かもしれないが、その分殴りつける事もできなさそうだ。今から人が尻尾と尻尾を取り合う社会が楽しみである。
(迷子)