アニメスタジオ経営は難しい? 宮崎駿監督が仕えた「3人のボス」が示した哲学
世界的な注目を集める日本のアニメ業界ですが、制作費をしっかり回収できている作品はごくわずかです。アニメスタジオの経営は容易ではありません。宮崎駿監督がこれまでに関わってきたアニメスタジオを振り返ると、大いなる野望を抱いた個性的な経営者たちが、それぞれスタジオを運営していたことがわかります。
日本テレビの子会社化が決まった「スタジオジブリ」
アニメーション制作会社「スタジオジブリ」が日本テレビの子会社になることが、2023年9月21日に発表されました。『天空の城ラピュタ』(1986年)や『火垂るの墓』(1988年)などの数々の名作を生み出してきたスタジオジブリは、これまでも後継者問題が話題となってきました。現社長の鈴木敏夫プロデューサーは「大きな会社の力を借りなくてはうまくいかない」と語っており、日本テレビ専務執行役員の福田博之氏が新社長に就任する見込みです。
スタジオジブリは過去にも「徳間書店」に吸収合併されされていた時期がありました。このときは徳間書店出身の鈴木プロデューサーが新社長となり、8年間で独立を果たしています。
もともとジブリは、宮崎駿監督と高畑勲監督のために作られたスタジオであり、ふたりに才能を存分に発揮してもらうためには独立した組織であることが重要でした。日テレ傘下となった新しいジブリで、テレビアニメが制作されるのか。また、『風の谷のナウシカ』(1984年)の続編が実現するのかも気になるところです。
今回は、宮崎駿、高畑勲の両監督にとってボスにあたる3人の経営者たちを振り返ることで、アニメスタジオの経営について考えてみたいと思います。
「東洋のディズニー」を自称した実業家
高畑監督、宮崎監督にとって、最初のボスと言えるのが東映動画(現在の東映アニメーション)の初代社長・大川博氏(1896年~1971年)です。日本初のカラー長編アニメ『白蛇伝』(1958年)を公開した際、大川氏がみずから予告編に出演し、「私は東洋のディズニーになります」「我こそはと思う人はどんどん来てください」と人材募集しています。
高畑監督は東映動画に翌年入社。学生だった宮崎監督もアニメーターを志すようになります。
東映の社長でもあった大川氏は、先見の明がある実業家でした。実写映画よりも、アニメのほうがマーケットが広いことを察知し、海外へ輸出することを前提に良質な長編アニメの製作をビジネスとして実現させたのです。
とはいえ、東映動画に入社した高畑監督や宮崎監督にとって、大川氏は必ずしも理想の上司ではありませんでした。アニメーターの待遇改善をめぐって、東映動画では労働争議が起きています。高畑監督の監督デビュー作『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)は、そんな時代に制作された社会派アニメでした。
ホルスのヒロイックな活躍やヒロインであるヒルダの存在感などは、ジブリ作品の原型となっています。原画担当だった宮崎監督が描いた「岩男」は、巨神兵のルーツにもなっています。