想像以上に深い「スタジオジブリと日本テレビ」の関係 ヒットの陰に「ジブリ愛」熱烈な社員たち
スタジオジブリの「日テレ子会社化」の報道は大きな注目を集めています。多くのジブリ作品が「金ロー」で放送されてきましたが、両者の関係は想像以上に深いものがありました。
記者会見で鈴木社長「長いお付き合いです」
2023年9月21日、スタジオジブリは緊急記者会見を開き、日本テレビの子会社となることを発表しました。会見冒頭のあいさつのなかで、鈴木敏夫社長は「ジブリと日本テレビは本当に、長いお付き合いです」と発言しています。
日本テレビとスタジオジブリの関係は、スタジオ設立以前に遡ります。1984年の宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』公開当時、前作『ルパン三世 カリオストロの城』の放送局でもあった日本テレビは、徳間書店を通じて放送権を取得。翌年、特別番組として放映したのです。1989年公開の『魔女の宅急便』から2016年の『レッドタートル ある島の物語』までの作品には、出資して製作にも参加しています。
今回は、こうしたスタジオジブリと日本テレビの深く長い関係について記していきたいと思います。
スタジオジブリと日本テレビと聞いて、多くの方がまず思い浮かべるのが「金曜ロードショー」ではないでしょうか。1985年の放送開始以来、2023年の今日までにスタジオジブリ作品が金曜ロードショーで放映された回数は、なんと200回以上です。
通常の放映だけでなく、スタジオジブリの新作映画公開前後に、過去作を連続で放映する、いわゆる「ジブリ祭り」はすっかり恒例行事となり、『天空の城ラピュタ』のクライマックスでの「バルス祭り」はネットミームとなりました。
国内でスタジオジブリ作品は配信されていないこともあり、同番組で初めてスタジオジブリ作品に触れた人も多いでしょう。 こうしたスタジオジブリと金曜ロードショーの密接な関係の立役者が、元日本テレビの奥田誠治さんです。
前述の『風の谷のナウシカ』初放映の際、日本テレビ側の担当を務めたのが、当時映画部に配属されたばかりで、その後金曜ロードショーも担当する奥田さんでした。そして『となりのトトロ』を観て感動した奥田さんは、社命を超えて積極的にスタジオジブリを応援するようになります。
実は『風の谷のナウシカ』以降、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『火垂るの墓』と、スタジオジブリの作品は次第に興行成績が下がっていき、日本テレビが初めてスタジオジブリ作品の製作に出資した『魔女の宅急便』の頃には、映画会社から、そろそろジブリも終わりと言われるような状況でした。
そんななか、日本テレビの出資が決まったと知った奥田さんは、鈴木敏夫プロデューサーにジブリグッズを持ってくるように呼びかけ、「ズームイン朝」をはじめとする同局の人気番組のプロデューサーやディレクターに作品の告知をしてもらえるよう、一緒に社内営業をかけたそうです。
また金曜ロードショーで『魔女の宅急便』の公開前と公開中の3回にわたり、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『火垂るの墓』を放送しました。前述の恒例行事となったジブリ作品連続放送の始まりです。
こうした懸命の告知の甲斐もあり、『魔女の宅急便』は『となりのトトロ』『火垂るの墓』の3倍以上の観客動員数を稼ぎ、スタジオジブリにとっても起死回生のヒットとなりました。
奥田さんは、その後も特に用もないのに宮崎駿監督や鈴木敏夫プロデューサーと談笑するために、スタジオジブリに通い続けます。鈴木敏夫プロデューサーによれば、その頃の宮崎駿監督は奥田さんを映画の観客のサンプルとして見ていたそうです。
結果、奥田さんは『魔女の宅急便』から『思い出のマーニー』までのスタジオジブリ作品に製作として参加し、『千と千尋の神隠し』が米アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した際には、監督・プロデューサーの名代として授賞式に出席するほど、スタジオジブリと懇意な関係を築きました。
ちなみに『千と千尋の神隠し』の千尋のモデルは奥田さんの娘さんで、豚になってしまうお父さんのモデルが奥田さんだそうです。