『サイボーグ009』子どもには伝わったのか? 55年前の人種差別がテーマのエピソード
マンガは昔、大人からは「悪書」と呼ばれて子どもに害とされ、アニメも同様に勉強の妨げになると嫌われた時代がありました。マンガやアニメを頭ごなしに受け入れなかった大人は、一度でも何か作品を見たのでしょうか。
黒人の人種差別は遠い国の問題だったであろう日本で……
今から55年前の1968年、アニメ『サイボーグ009』(第1期モノクロ)が放送開始されました。原作は石ノ森章太郎先生が生涯を掛けて描き続けた未完の大作マンガです。
その最初のアニメは「反戦」が色濃いテーマで、戦後23年が経過した当時に放送された全26話には、さまざまな角度から「戦争とは……」というメッセージが込められています。なかには社会問題に目を向けたエピソードも見られ、1968年8月16日放送の第20話「果てしなき逃亡」は、黒人の人種差別問題がテーマでした。
1950年代後半から60年代前半にかけて、アメリカでは黒人の基本的人権を要求する「公民権運動」が活発になり、1968年当時は世界的に人種差別問題が大きく取りざたされていた頃です。同年4月には、公民権運動の主導者であったキング牧師が暗殺されています。南アフリカでは人種隔離政策「アパルトヘイト」への反発が強まっていました。
そのような時代背景で放送された「果てしなき逃亡」のあらすじは、次のようなものでした。
「黒人である008(ピュンマ)の祖国ランデシアは、人種差別が続く南アフリカの国です。差別に反対する革命派が捕われるほど緊迫した情勢でこの国を訪れた009たちは、収容所から脱走してきた幼い少女ベティを助けます。ベティは黒人解放運動のリーダーであるマルク牧師の娘でした。命を狙われ逃亡を続けるマルク牧師は、潜伏中のアルジェリアからエジプトのカイロで行われる黒人解放会議に出席しなければなりません。009たちは襲い来る暗殺者と戦いながらベティとカイロへ向かいます」
ポイントをさらいます。おそらくモデルは南アフリカで、マルク牧師は反アパルトヘイト運動に身を投じたネルソン・マンデラ氏をイメージさせます。ベティの母親はなぜか日本人でベティの見た目は黒人っぽくありません、これも何かメッセージ性を含むでしょうか。母は脱走したところを白人の警備に銃殺されます。
マルク牧師はなんとかカイロに到着し、そして黒人解放会議で代表者が「我々は全アフリカ解放会議の名において、南アフリカ・ランデシアにおける人種差別の撤廃と現政府の即時辞任を要求するものであります」と宣言しました。すると会場の黒人たちが、英語の歌を合唱し始めます。それは「We Shall Overcome(勝利を我等に)」という、アメリカ公民権運動のシンボルソングでした。
マルク牧師暗殺計画を009たちに阻止され、首謀者であるランデシアの大統領は自殺します。最後に、亡き妻の墓前でマルク牧師はこんなセリフで物語を締めます。
「われわれ黒人に本当の幸せが来るのはまだまだ先のことです。だけど太陽はこんなに明るい。私は妻の死を無駄にしないでしょう」
2023年現在、人種差別の問題は、55年前と比べれば法律や常識も変わったはずです。それでもときどき「人種差別」と受け取れるような事件を引き金に暴動へと波紋が広がるようなケースが、世界で後を絶ちません。マルク牧師の言った「まだまだ先」は、まだまだ続いているのでしょう。