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『北斗の拳』サウザーが問いかける「強さ」とは? 愛深きゆえに愛を捨てた漢の結末

『北斗の拳』の登場人物であるサウザーは、その極悪非道さで全編を通しても随一といえるほどの悪役ぶりを見せてくれますが、ただの悪役では終わりません。物語全体ではどのような役割を果たしたのかを見ていきます。

一度はケンシロウを倒した男、サウザー

ファンの間で「様」を付けられる漢のひとり、サウザー。「帝王の体」もその強さを語るうえでの要素のひとつ
ファンの間で「様」を付けられる漢のひとり、サウザー。「帝王の体」もその強さを語るうえでの要素のひとつ

 南斗六聖拳の拳士の中でも特にケンシロウを苦しめた相手といえば、シンと並んでサウザーの名前が挙げられるでしょう。南斗六星の帝王の星「将星」を司る南斗鳳凰拳の伝承者であり、一度はケンシロウを打ち倒すほどの強さの持ち主でした。そのエピソードでは、『北斗の拳』における強さの定義を改めて問う物語が展開されたといえるでしょう。

 直前まで描かれていたのはレイの最期のエピソードで、そのレイは愛する者のために一度は道を踏み外し、苦しみ、一方で力を得て、その生命を燃やし尽くしました。少年マンガの正道としては「愛は強い」と謳(うた)い上げたいところでしょうが、レイやシン、ユダを通し、人は愛ゆえに哀しみ、苦しみ、道を見誤りすらするといった側面もまた描かれてきたのです。

 その流れから次に浮かび上がるのは、「では、愛を捨てれば強くなれるのか」という問いかけではないでしょうか。これに回答を示したのがサウザーというわけです。

 愛を捨てたからには、相応に強くないと説得力は得られません。その点サウザーは作中において、実に強者として描かれていました。拳王ことラオウですら戦いを躊躇する、という前フリも、その少し前に一度ケンシロウはラオウと死闘を演じていますので効果的です。

 最初にケンシロウと対峙した際のサウザーの振る舞いも堂々としたもので、「わが拳にあるのはただ制圧前進のみ!!」と言い放ち、その踏み込みの早さと拳の鋭さでケンシロウを圧倒します。そうした拳の実力もさることながら、それまでほとんど無敵だった北斗神拳が通用しないというのは、物語世界のいわゆるお約束が崩れた瞬間であり、読む側には大きな衝撃だったはずです。「おれの体は生まれついての帝王の体!」と豪語するサウザーに、もはや絶望するしかありません。ケンシロウ、まさかの敗北でした。

 なおこの最初の対峙におけるケンシロウの敗北により、「北斗と南斗は互角」であることが改めて提示されたといってもよいでしょう。レイとラオウの対決があっさり決着しすぎたことについてのフォロー、という意味合いもあるのかもしれません。

 さておき、愛を捨てた強さを提示するからには、やはり絶対悪でないといけません。繰り返しますが、少年マンガの正道としては愛の強さを謳いたいところですから、愛を捨てた強者が正義であってはならないのです。その点においてもサウザーは、申し分ないほどの極悪非道ぶりを見せつけてくれました。

『北斗』屈指の善人シュウ。かつてその視力と引き換えにケンシロウの命を救った
『北斗』屈指の善人シュウ。かつてその視力と引き換えにケンシロウの命を救った

 自ら「愛と情の墓」と語る聖帝十字陵を建設するための労働力として、子どもを無理やりかり集めて酷使するだけでも十分に非道ながら、『北斗の拳』全編を通しても指折りの善人たる南斗白鷺(はくろ)拳のシュウに対する仕打ちは、まさに鬼畜の所業です。

 サウザーに敗れ囚われたケンシロウは、シュウの息子、シバの自己犠牲により難を逃れ、そして密かに逃がされます。その一方でシュウは、人質を救うためサウザーに戦いを挑んだものの、その人質をタテに取られて拳を交えぬままに敗れ、聖帝十字陵の聖碑(頂上の巨大な石)を積むという苦行を強いられました。足の筋を切られつつも頂上まで石を運び上げたシュウの胸をサウザーの投げた槍が貫き、そしてシュウはケンシロウの眼前で壮絶な最期を迎えます。

 この一連の非道な仕打ちは第90話「悲しき仁星!の巻」から第93話「非情の奇跡!の巻」に渡って丁寧にじっくりと描かれており、つまり連載当時は約1か月にわたり、読者は「サウザー許すまじ」の念を募らせ続けたわけです。かくてサウザーは、『北斗の拳』随一の悪役というポジションを獲得した、といえるでしょう。

【上が上なら】閲覧注意 実はサウザーの手下だった有名すぎる例のモヒカン【下もゲス】(6枚)

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