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『ガンダム』制作スタジオが困惑…昭和のアニメファンの迷惑行為 「おおらかな時代」にも限界が?

『ガンダム』富野監督にも気軽に会えた? アニメファンが制作スタジオを気軽に訪問できた時代の光と影。

ファンが勝手にアニメスタジオに入れた?

「機動戦士ガンダム DVD-BOX1(完全初回限定生産)」(バンダイビジュアル)
「機動戦士ガンダム DVD-BOX1(完全初回限定生産)」(バンダイビジュアル)

「昭和はよかった」とおっしゃる方がよくいます。私のように、青春時代を昭和どっぷりだった世代からすると「そうでもないよ」と言いたいことはたくさんあります。ただ、アニメーションの制作現場に限って言えば、たしかに、ファンの方々からすれば「良かった」のかもしれません。なにせ、あの富野監督が訪ねてきたファンの相手をしてくださることもあったのですから。

 こう表現すると、今のファンの方々は驚愕されるでしょう。でも、富野監督だってはじめから有名人であったわけでも、レジェンドであったわけでもありません。そして、アニメ自体がまだ世の中では軽視されていた時代でもあったのです。

 私が初めてサンライズスタジオ(現・バンダイナムコフィルムワークスとなる(株)サンライズの前身のひとつであった制作現場会社)を訪ねたのが1975年です。そのとき、そのスタジオで制作していたのが、先日リマスターBlu-rayも発売された『勇者ライディーン』(1975~76 東北新社)。富野監督は、この作品の前半の監督(表記はチーフディレクター)でした。

 このころは多くの制作会社も同じような状況だったのでしょうが、まだまだ小さな下請け制作会社だった当時のサンライズは、アパートの一室を仕事場にしているような(実際は喫茶店の二階でしたが)環境で、入り口は薄い木造のドア1枚。しょっちゅう近所の子供が遊びに来ていたりもするくらいで、誰でも気軽に中を覗けるようなところでした。

 当然、勝手に入っていい、というわけではありませんが、その場で「見学してもいいですか?」とお願いしてOKがいただければ入れてもらえたのです。

 そんな中、たまたま居合わせたのが、まだ若々しい富野監督でした。「ライディーンが好き」というと、当時高校生だった私を見て「あなたのような年齢で、ロボットアニメなんか見てるの?」と驚きながら、仕事の片手間にしばらく相手をしてくださいました。このときは、まさかお互い、やがて一緒に仕事をするようになるなんて思いもしませんでしたが。

 しかし、こんな幸せな待遇も、あの『機動戦士ガンダム』が人気になるにしたがって不可能になりました。

 人気が出てファンが増えれば、中にはよからぬ人もふくまれてしまいます。ことわりなく資料をコピーしたりセルを持ち出し、それを勝手に複写して売る……なんて悪質な人物も現れました。当然この行為は違法です。また、サンライズが注目されれば、深夜「セル泥棒」が入ることも起こりはじめます。

 もはや、こうなるとファンといえども立派な犯罪者です。それまでのように、アポなしで突然訪ねられても、おいそれといれるわけには行かなくなります。とはいえ、そのころはまだ玄関でセキュリティーチェックをするような人材をおいたり、機器を備え付けたりするようなことは出来ませんでした。

 そんなころに時々現れたのが、謎の「電波」(と我々は言っていました)を受け取ったファンの方々です。

 スタジオの玄関前で、なにやらずっとウロウロしている男性。なんとなくいやぁな予感がします。そこで声をかけてみると、富野監督を待っていると言います。「お約束ですか?」と訪ねると「昨晩、監督から、ここに来なさいと言うメッセージを受け取ったから」と言うのです。

 まだスマホなんかない時代ですから、あの「メッセンジャー」もなければ、電子メールだって一般化する遙か前です。彼のいう「メッセージ」というのは、どうも彼だけの妄想のようなのです。

 こういう方をスタジオに入れるわけにはいきませんから「監督は今、出かけていて不在です」と言うと「でも来いと言われた……」とモゴモゴ言い続けていますので「お引き取りください」ときっぱりお断りしました。監督に確認しても、もちろんそんな覚えはないとのことでした。こうした経験は私だけではなく、似たような思いをした同僚も数人いたようです。

 怖がるべきか笑うべきか、なにより、ご本人がその後きちんとした社会人になられていればいいけど……と思わずにはいられません。

 こういう人が訪れるようにもなり、ますます以前のように「誰でも出入り可能」というのは無理になっていくのですが、アニメ制作会社も決して「偉ぶって」いるわけではなく、あの京都アニメーションの放火事件などを考えると、セキュリティを厳しくせざるを得ないのはご理解いただけるはずです。

 メジャーになるというのは、その業界の発展にもつながるのでとても良いことのはずです。でも何事も裏表一体。ノックひとつで富野監督に会える時代を「むかしの人はずるいなぁ」と思われる人もいるでしょうね。

 でも、それを決めてきたのは社会そのものだろうと私は思います。

【著者プロフィール】
風間洋(河原よしえ)
1975年よりアニメ制作会社サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の『勇者ライディーン』(東北新社)制作スタジオに学生バイトで所属。卒業後、正規スタッフとして『無敵超人ザンボット3』等の設定助手、『最強ロボ ダイオージャ』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』『巨神ゴーグ』等の文芸設定制作、『重戦機エルガイム』では「河原よしえ」名で脚本参加。『機甲戦記ドラグナー』『魔神英雄伝ワタル』『鎧伝 サムライトルーパー』等々の企画開発等に携わる。1989年より著述家として独立。同社作品のノベライズ、オリジナル小説、脚本、ムック関係やコラム等も手掛けている。

(風間洋(河原よしえ))

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