知れば知るほど面白い『科学戦隊ダイナマン』 火薬量は特撮史最大、もとは野球戦隊?
1983年に放送されたスーパー戦隊第7弾の『科学戦隊ダイナマン』は、シリーズ作のなかでも特にインパクトのある逸話がありました。製作発表直前までは「野球戦隊」として企画が進められていました。
なぜ「野球戦隊」から「科学戦隊」に変更?
40年前の1983年に放送された『科学戦隊ダイナマン』は、別名「火薬戦隊」と呼ばれるほど、爆破シーンが多いスーパー戦隊でした。同作は実は「野球戦隊」という設定で企画が進められていたのですが、最終的に「科学戦隊」に変更されています。
もともとデザインされた野球のユニフォームをモチーフにしたコスチュームはそのまま活かされたため、半袖で白ズボンという、戦隊としては異色の装いになりました。現代まで語り継がれる『科学戦隊ダイナマン』についてご紹介しましょう。
『ダイナマン』を製作した元東映プロデューサー・鈴木武幸氏の著書『夢を追い続ける男』(講談社)によると、当初『ダイナマン』の企画は「科学と夢」「ダイナミックな動き」という2大テーマが出発点でした。
しかし、このテーマだと抽象的過ぎるため、具体的にイメージするモチーフが必要でした。そこで候補として浮上してきたのが、当時中継番組で高視聴率だった「プロ野球」です。1980年代は、読売ジャイアンツをはじめとするセ・リーグのチームを中心とした野球中継が連日地上波で放送されていました。
そのような経緯から野球が題材となり、コスチュームも野球のユニフォームがモチーフになって、胸に「VLEAGER」のロゴがデザインされ、「野球戦隊Vリーガー」として企画が進みました。ところが鈴木氏は、野球にこだわりすぎるとスーパー戦隊としての発想が制限されることに気づきます。
そこで企画の原点に立ち返り、「ダイナミックな動き」から「魂の爆発」として、『ダイナマン』という名前になり、モチーフは科学と夢から「発明」へとシフトしていきます。
当初は野球戦隊の影響が残ったままのコスチュームで製作発表にあたる撮影会がおこなわれました。しかし「これではいかん」と作り直されて、現在知られているようなコスチュームに落ち着いたようです。結局、撮影会はやり直すことになりました。
野球戦隊の名残りは、コスチュームだけではありません。ダイナマンが5人そろってポーズを決める時にダイナブラック、ダイナブルーが1本足になるのですが、これは1980年に引退した王貞治さんの「1本足打法」のオマージュです。
また3台のメカからダイナロボに合体するシーンで、ダイナマンたちは満塁ホームランを意味する「合体グランドスラム」と叫びます。さらに小池一夫さんによる歌詞に散りばめられた「燃えろ火の玉」も、当時から剛速球の慣用句としてよく使われていました。
いざ撮影に入ると、「魂の爆発」を具現化するために、当時のスーパー戦隊史上最大といわれる量の火薬を使って、全編にわたって徹底的な爆発エフェクトが採用されています。ダイナマンがひとりずつ名乗る話面でも背中越しに爆発、敵の有尾人を倒すたびに爆発など、ふんだんに爆薬が使われました。
最近の爆破シーンは安全のためにCGで処理されているので、リアルな爆薬で『科学戦隊ダイナマン』を超える特撮番組は、おそらく二度と出てこないでしょう。
(LUIS FIELD)