プレステvsセガサターン、仁義なき「次世代ゲーム機戦争」の残酷 「2大タイトル」が勝敗を決めた?
90年代後半、初代プレイステーションとセガサターンが繰り広げた熾烈な「次世代ゲーム機戦争」を覚えているでしょうか。結果的に、プレイステーションが勝利しましたが、その決め手となったのは誰もが知っている国民的RPGでした。
初代プレステとセガサターンの間で「次世代ゲームハード戦争」が勃発!
今から29年前の1994年12月に発売された、初代「PlayStation」(以下、プレステ)は、『ファイナルファンタジーVII』(以下、FF7)、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(以下、ドラクエ7)といった大ヒット作を多数輩出したゲームハードです。
「プレステ」は日本だけで約1900万台、世界的には約2億台も売り上げて大成功をおさめましたが、同時期に発売された「セガサターン」と壮絶な次世代ゲームハード戦争を繰り広げました。
この両ハードによる争いの趨勢(すうせい)が「プレステ」に大きく傾いたのは、あるゲームタイトルの影響が大きかったことをご存知でしょうか。
「プレステ」の発売は1994年12月3日で、「セガサターン」の発売は1994年11月22日のことです。ほぼ時を同じく発売された両ハードの熾烈な争いが幕を開けましたが、1995年末の段階では「セガサターン」が「プレステ」よりも先に国内販売台数200万台を達成しました。
そのような状況下で、1996年の年明け後に「プレステ」で『FF7』がリリースされることが発表され、「プレステ」の驚異の巻き返しが始まります。ソニーは1997年に発売される『FF7』を主軸としたプロモーションを展開し、『FF7』発売前に500万台近くまで販売台数を伸ばしました。
一方のセガも、1996年は『サクラ大戦』や、ハドソンの参入第一弾となる『サターンボンバーマン』といったタイトルを送り出し、さらに販売台数を上乗せして国内販売台数は400万台に達しました。
「プレステ」と「セガサターン」の両ハードがともに販売台数を伸ばすなか、1997年に入ると「プレステで『ドラクエ7』が発売決定」という衝撃的なニュースが報じられます。
それまでエニックスは「もっとも勢いのあるハード」での『ドラクエ』の発売を匂わせていましたが、それが「プレステ」に決まったことはゲーマーの間にも衝撃が走りました。
実際『ドラクエ7』が発売されたのは「PlayStation2」が発売された後の2000年8月のことだったので、かなり先の話だったのですが、この発表は「プレステvsセガサターン」という次世代ゲーム機戦争に大きな影響を与えるほどの破壊力があったのです。
そして1997年の「プレステ」は、『FF7』の大ヒットや『ドラクエ7』発売決定の話題性などが後押しして、年内に国内1000万台を突破。ライバル「セガサターン」を大きく引き離すことに成功しました。
ネット上でも当時の印象を語る声は多く、「初代プレステと一緒に買ったソフトはFF7」「『FF7』のために初代プレステを購入した」といった意見が目立ちます。
セガとソニーの間で勃発した「次世代ゲーム機戦争」は、こうして「プレステ」に軍配が上がりました。そして、その勝敗の裏側には、『ファイナルファンタジー』と『ドラゴンクエスト』という、日本を代表するRPGの存在があったのです。
(LUIS FIELD)