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実はスーパー戦隊ではない? 『忍者キャプター』が12chで放送されて生まれた勘違い

『忍者キャプター』は1976年に放送された集団変身ヒーロー番組です。『秘密戦隊ゴレンジャー』の放送中に製作されたためか、ゴレンジャーの影響が色濃く残っています。しかし放送局が違うためスーパー戦隊の仲間には入れず幻の集団ヒーロー番組として、当時の視聴者の記憶に刻まれています。

ゴレンジャーより肉弾戦が多かった?

「Columbia Sound Treasure Series『忍者キャプター SONG & BGM COLLECTION』」のパッケージ(日本コロムビア)
「Columbia Sound Treasure Series『忍者キャプター SONG & BGM COLLECTION』」のパッケージ(日本コロムビア)

 1976年の『忍者キャプター』は、東京12チャンネル系(現・テレビ東京)で放送された集団変身ヒーロー番組です。1975年『秘密戦隊ゴレンジャー』と同じ東映で製作されており、共通点が多いのが特徴でした。しかし放送局が違うため、今でははっきり別物と区別されています。では、なぜ当時は「スーパー戦隊シリーズ」と認識されていたのでしょうか?

 ひとつ目の原因は前述のとおり『ゴレンジャー』と製作時期が近いせいか、共通点が多いからです。『ゴレンジャー』が成功した後の東映の平山亨プロデューサーは、1975年『アクマイザー3』、1976年『宇宙鉄人キョーダイン』など複数のヒーローがチームで活躍する番組を連発し、いずれもヒットさせています。

 著書『泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~』(講談社)では、「ヒーローが7人。3人か5人かという後は、勢いで、7人もやってみたかった」と語っています。

『忍者キャプター』は『ゴレンジャー』のコスチュームと同じように番号が振ってあり、頭のヘルメットに自らの忍術の特徴のシンボルもありました。当時の集団ヒーローのなかでも1番の人数の多さで、14、15~45歳と年齢差も最も大きいです。

『ゴレンジャー』と違い低予算だったためにコスチュームはタイツのみで、変身後もほとんど吹替えなしで本人が演じています。そのためか敵も着ぐるみでなく、生身の俳優がメイクして演じていました。これは次回作1977年『快傑ズバット』にも踏襲されています。

 ふたつ目の原因は『ケイブンシャの大百科』シリーズの一冊である『科学戦隊ダイナマン スーパー戦隊大百科』に、『忍者キャプター』がスーパー戦隊の仲間だと記載されたことです。さらに1984年『超電子バイオマン大百科』でも「歴代スーパー戦隊せいぞろい!」のなかに組みこまれました。

『ケイブンシャの大百科』シリーズは情報量が多い割に値段が安くて、子供が手に取りやすかった半面、情報に間違いが多かったことも『よみがえるケイブンシャの大百科』(いそっぷ社)などで指摘されています。間違った情報を信じる子供が増える原因になったようです。

 3つ目の原因は、スーパー戦隊自体のカテゴリー分けが曖昧だったことです。1980年代はスーパー戦隊の第1作を八手三郎さん原作の1979年『バトルフィーバーJ』から、とカテゴリーされていました。石ノ森章太郎先生原作の1975年『秘密戦隊ゴレンジャー』や、1977年『ジャッカー電撃隊』は製作期間が離れているので、スーパー戦隊の仲間にも入っていなかったのです。

『ゴレンジャー』から12作目の1988年『超獣戦隊ライブマン』の時には、『バトルフィーバーJ』から10作目と銘打たれていましたが、1995年『超力戦隊オーレンジャー』の時には『ゴレンジャー』と『ジャッカー電撃隊』もスーパー戦隊に入って20作目と数えられるようになりました。

 結局のところ戦隊ではなかった『忍者キャプター』ですが、現在のスーパー戦隊のようにメカニック性が薄いために、変身前の俳優が活躍する余地が多くて、今でも楽しめる特撮番組です。

(LUIS FIELD)

【画像】どちらもお美しい!松葉夕子さん&野川愛さんが演じた「花忍キャプター3」を見る(3枚)

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