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『千と千尋』の陰で… 庵野秀明監督と細田守監督の「ジブリ作品」が幻となったワケ

全世界で大ヒットし、アニメ史、映画史に残る記録を打ち立てた『千と千尋の神隠し』の制作が進んでいた当時、庵野秀明監督、細田守監督による「ジブリ作品」の企画が進められていました。なぜ両作品は「幻」となってしまったのでしょうか。

庵野監督が「SFの戦艦もの」を手掛ける企画だった?

宮﨑駿監督作品『千と千尋の神隠し』 (C)2001 Studio Ghibli・NDDTM
宮﨑駿監督作品『千と千尋の神隠し』 (C)2001 Studio Ghibli・NDDTM

 2024年1月5日、「金曜ロードショー」で宮﨑駿監督作品『千と千尋の神隠し』が放送されます。2001年に公開された同作は『もののけ姫』に続いて日本の歴代興行収入第1位を更新し、第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞するなど、宮﨑駿監督の国民的映画監督の地位を不動のものとし、スタジオジブリのブランド力を確固たるものとした作品です。

 そんな『千と千尋』の制作の陰で企画が進行していながら、陽の目を見ることなく終わった「幻のスタジオジブリ作品」があったのをご存知でしょうか。

 当時スタジオジブリでは、『もののけ姫』が大ヒットした一方、宮崎駿監督と並ぶもう一人の雄、高畑勲監督の制作ペースが落ちていたこともあり、ふたり以外にスタッフを牽引できる若手演出家を探す気運が高まっていました。

 実際、その試みは2002年に森田宏幸監督作品『猫の恩返し』と、百瀬義行監督作品『ギブリーズ episode2』で結実します。しかし同時期にこの2作以外にも、気鋭の若手監督が起用される予定だったスタジオジブリ作品がふたつあります。

 ひとつは、庵野秀明監督が手掛ける予定だったSF特撮映画。もうひとつが今なおファンの間で話題になっている、細田守監督によるアニメ『ハウルの動く城』です。

「スタジオジブリが特撮映画」と聞くと奇妙に感じる人もいるかもしれませんが、2000年前後のスタジオジブリは、「三鷹の森ジブリ美術館」の建設をはじめ、国内外の映画の制作・配給協力などさまざまな分野の開拓、進出に挑戦していました。

 スタジオジブリに庵野秀明監督のSF特撮映画の企画が持ち込まれたのは、庵野監督にとって初の実写劇場作品『ラブ&ポップ』(1998年)を撮り終えた直後です。同作の製作を担当した甘木モリオ(当時、南里幸)プロデューサーからの申し出でした。

 その話に乗った鈴木敏夫プロデューサーが、スタジオジブリ内に準備室を設置。庵野秀明監督、樋口真嗣監督、甘木モリオプロデューサーに、当時スタジオジブリ所属だった高橋望プロデューサーと石井朋彦プロデューサーが参加して、毎週のように企画開発を重ねたといいます。

 この庵野秀明監督の作品は、前述の高橋望プロデューサーが小冊子「熱風」で語ったところによれば「SFの戦艦もの」だったそうです。

 庵野秀明監督の戦艦へのこだわりは有名で、『トップをねらえ!』のヱルトリウム、『ふしぎの海のナディア』のΝ-ノーチラス号、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズのAAAヴンダーなど自作への登場はもちろん、万能戦艦マイティ号の活躍を描いたテレビ特撮ドラマ『マイティジャック』『戦え! マイティジャック』の資料写真集で責任編集を務め、自社(カラー)から発行しようとしているほどです。

「熱風」記事内で高橋望プロデューサーが「いま思えば『シン・ゴジラ』にも通じるような内容」と語っていることを踏まえると、現代社会を舞台にしたシミュレーションタッチのアクション映画だったのでしょうか。

 しかし1年ほどの検討期間を経て、このSF特撮映画企画は頓挫してしまいました。2014年の東京国際映画祭での大型特集上映会「庵野秀明の世界」トークショーで庵野監督は「僕の力不足でそれを形にすることができなかった」と述べていますが、詳しい事情は不明です。

そして、その後継企画して制作されたのが庵野監督の2作目の実写映画『式日』です。『式日』は、スタジオジブリの別レーベル「スタジオカジノ」制作作品として、2000年に東京都写真美術館で公開されました。

【画像】「えっ…?」 これが挫折を味わった両監督が生み出した大ヒット作です(6枚)

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