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庵野監督が惚れた特撮『マイティジャック』 視聴率は苦戦も、歴史に残る「メカ描写」

番組終了後も売れ続けた「マイティ号」

庵野秀明監督が責任編集をつとめた「マイティジャック 資料写真集 1968」(グラウンドワークス)
庵野秀明監督が責任編集をつとめた「マイティジャック 資料写真集 1968」(グラウンドワークス)

 多額の予算を注ぎ込んだ作品をここで終わらせるワケにいかないと、円谷プロとフジテレビは放送枠を土曜7時に移動して30分に短縮し、『戦え!マイティジャック』としてリスタートします。『ウルトラセブン』のV3・クラタ隊長で知られる南廣さんが副長から隊長に昇格して主演を務めました。もともと11人のメンバーだったのが5人に絞られました。

 視聴者層を子供に変えて、後半には怪獣や宇宙人も登場しますが、最終回の第26話の視聴率も5.3%と、支持されないまま終了しました。この番組の失敗が痛手となり、1968年『怪奇大作戦』の放送終了後、完全に番組の受注がなくなった円谷プロは大幅な人員整理を敢行します。

 皮肉なことに円谷の人材が他社に流れた結果、他の制作会社からたくさんの特撮番組が制作されることになりました。最大の痛手は、すべての企画の中心にいた金城哲夫さんが去ったことです。金城さんが残っていれば、それ以降もたくさんの名作が生まれていたかもしれません。

 視聴率5%台で苦戦した『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』でしたが、そのメカ特撮は、やはり特撮の最高峰であるのは間違いありません。

『マイティジャック』の最大の魅力はメカ特撮であり、それは『ウルトラマン』『ウルトラセブン』でも美術担当だった成田亨さんがデザインしています。そのなかでも主役の「マイティ号」の格好良さは白眉で、「エヴァンゲリオン」シリーズなどで知られる庵野監督も「マイティジャック資料写真集 1968」の巻頭で、『マイティジャック』の放送翌年のお正月に今井科学の一番大きいマイティジャック号を買ってもらった……と語っています。番組が放送終了した後も、「マイティ号」はロングセラーになりました。

 庵野監督が心底惚れた『マイティジャック』『戦え!マイティジャック』は、今こそ特撮ファンに見てほしい作品です。

(LUIS FIELD)

【画像】「えっ…? 欲しいかも」これが当時売れに売れた、「マイティ号」です(6枚)

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