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迫害される「アニメオタク」の消失と、声優の「タレント化」が進んだ理由は?【この業界の片隅で】

アニメ業界の片隅で生きる著者・おふとん犬が、業界の片隅で拾ったさまざまな話題を取り上げて解説します。第5回は、前回に続いて声優についてのトピック。アニメ市場の拡大に伴うタレントとしての立ち位置の変化や、セルフプロデュースに役立ちそうなエピソードについてもご紹介します。

カテゴリーとしての「アニメオタク」の消失

2010年公開の映画『涼宮ハルヒの消失』 (C)2009 Nagaru Tanigawa・Noizi Ito/SOS団
2010年公開の映画『涼宮ハルヒの消失』 (C)2009 Nagaru Tanigawa・Noizi Ito/SOS団

 その昔、「アニメオタク」は迫害の対象でした。年代や住んでいる地域によって差異は大きいものの、アニメが好きというだけで笑いものにしたり、時には暴力を振るったりする空気が濃厚にあったことは否定できません。私も学生の頃、アニメ『YAWARA!』のエンディングテーマ曲『いつもそこに君がいた』がお気に入りだと話した途端、クラスメイトたちが眉をひそめて不審げな顔を向けてきたのを、はっきりと記憶しています。今では信じられないような話ですが、世の中自体がそんな雰囲気だったのです。

 時代の変化を明確に実感できたのは、2006年にアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』がテレビ放映され、爆発的にヒットした直後です。

 当時、それはかわいらしくてオシャレな、ファッション誌の読者モデルの少女とお話する機会がありました。高校に入学したばかりの彼女に、「学校ではどんなものがはやっているんですか?」と尋ねたところ、「私も含めてアニメを見ている子が多いです。ハルヒ、面白いですよね」と、ごく自然に答えたのです。

 付き合いのある広告代理店の方が、「我々の扱うマーケティングでは、もはやアニメオタクをごく限定された特殊なカテゴリーとして捉えていない」と語っていたのも同時期です。

 2006年はテレビアニメの制作分数(映像尺換算でどれだけの量が作られたか)が目立って伸びた年でもあり、私の実感した変化は、数字からもある程度裏付けられます。要するに、その年までにはアニメがごく普通の趣味として認知され、商品としてもより広く流通するようになっていたということでしょう。アニメだろうが何だろうが、他人の趣味をわざわざ気にする人が少なくなったというのもありそうです。

「アニメオタク」という呼称から侮蔑的な意味が薄れるにつれ、声優は中学生や高校生にとっての憧れの職業になりました。同時に、タレントとしての立ち位置にも変化が生じました。かつての「俳優による表現活動の1ジャンル」というポジションから、「個々のスター性がより求められる専門職」へと、見られ方が変わったのです。

 声優はどこまでタレントであるべきかという問題は、当の声優の間でもかなり議論があり、正否を論じるつもりはありません。ただ、タレントであるのは悪いことばかりでないとは言えるでしょう。

【画像】自ら発信し「タレント化」していく声優たち(5枚)

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