いとうかなこさん&Hassyさんが語る、ゲーム・アニメと「歌の力」【インタビュー前編】
名作や傑作と呼ばれるゲームやアニメには、名曲と呼ばれる主題歌がつきもの。いとうかなこさんとHassyさんは、ニトロプラス作品をはじめとした数々のタイトルでテーマソングを歌い、楽曲提供も行ってきました。「YOI*HARU」としてユニット活動も行うおふたりが、これまでの音楽活動や、これからの夢について語る、インタビュー前編です。
バレーボールから音楽の道へ
――おふたりが音楽の道に進まれたのには、きっかけがあったのでしょうか?
いとうかなこさん(以下、敬称略) 中学校の頃まではバレーボール部で、本気で実業団を目指してたんです。高校はデザイン科に入ったんですが、そこが運動部への入部が許されてないところで……仕方なく、軽音部に入ったんですね。
Hassyさん(以下、敬称略) 私の場合は母が音楽好きで、オルガン教室に通わされてたんです。ところが、クビになっちゃいまして。
――クビに、ですか?
Hassy やんちゃだったんでしょうね(笑)。教えられた通りのコードで演奏するのがイヤだったのか、好き勝手に弾きまくってたら、先生から「他の生徒の迷惑にもなるから、もう来ないでくれ」と。
いとう 『のだめカンタービレ』みたい(笑)。
Hassy そう言ってもらえると救われますけど、いま思うとメチャクチャですよね。でも、教わったコードは不思議と覚えていて、曲作りの仕事にはとても活きているんです。
――いとうさんの場合は、軽音部でのご経験が、後の音楽活動につながっているのでしょうか。
いとう もちろんそれもありますけど、私は高校卒業後、1年だけ社会人を経験してから、誘われてバンド活動を始めたんです。いつの間にか、地元の栃木で5~6バンドのボーカルを掛け持ちするようになっていて、そこから東京に出てきて現在に至るって感じですね。
当時はキャロル・キングとか世界的メガヒッツのカバーを中心に、ジャズのビッグバンドでボーカルをやったり、社交ダンス教室に招かれてダンスを見ながら歌ったりもしました。楽しかったですねえ。
Hassy 私も青春時代はバレーボールに夢中で、実業団を目指してたし、かなちゃんとは共通点多いよね。
いとう Hassyさんはエースアタッカーで、私は背が小さかったから、リベロとかセッターばかりだった。びょ~んって背が伸びたのは、バレーボールをやめてからなんです。
Hassy バレーボールも音楽もとにかく好きで、いつの間にか夢中になってた感じかなあ。
いとう Hassyさんとは20年以上の付き合いになるんですけど、実は出会う前に、歌を先に聴いてるんですよ。初めてニトロプラス作品の主題歌を担当することになった時、「こんな雰囲気の世界観です」と渡されて聴いたのが、『Phantom of Inferno』のHassyさんの歌だったんです。