『アンパンマン』なぜ「アンパンマン」は「ばいきんまん」にその顔を与えないのか
「困った人にアンパンでできた顔を差し出す」ヒーロー、おなじみ「アンパンマン」はしかし、飢えたばいきんまんに対して「僕の顔をお食べ」としたことはありません。なぜなのでしょうか。物語の原点に立ち返りつつその真意を探ります。
言われてみれば確かに記憶にないかも…?
「お腹が空いた人に、自分の顔を差し出す」優しくて献身的な正義の味方「アンパンマン」。現在では児童向け作品として知られる「アンパンマン」ですが、その初出は青年向け雑誌「PHP」(PHP研究所)内の、青年向け読み物である「こどものえほん」に掲載された短編でした。
児童向け作品になる以前、すなわち当初のアンパンマンは普通のおじさんで、持っているパンを飢えた人のところに駆けつけて差し出す人物として描かれました。
作者であるやなせたかし先生は、太平洋戦争中に深刻な食糧難や、自らも携わった戦争向けプロパガンダの制作を通じて、「正義」とされるものがいかに信用しがたいものなのか、そして「人生で一番つらいのは食べられないこと」という考えを持っていました。
そうしたことから、アンパンマンは「困った人のところに駆けつけて、食べ物を与える。それが立場や国が変わっても、決して逆転しない正義のヒーロー」として描かれるようになったのです。
「困っている人を食べさせることが、正義の味方」なので、アンパンマンはたとえ自分の顔を飢えた人に与えることで自身の力が弱っても、目の前の人に顔を与えてきました。「本当の正義というものは、決して格好のいいものではないし、そのために自らも深く傷つくものです」という、やなせたかし先生の価値観が深く反映されたヒーローといえます。
そうしたアンパンマンは、しかし、劇中の大半で飢えている「ばいきんまん」に「僕の顔をお食べ」と差し出すことはありません。
誰にでも分け隔てなく優しいアンパンマンですが、ばいきんまんに対してのみは悪事の事情を聞くことなく「やめるんだばいきんまん。許さないぞ! アンパーンチ」と攻撃することが大半なのです。
ばいきんまんによる悪事の大半は、「飢えて食べ物が欲しくなった時」と「ドキンちゃんが〇〇を取ってきてと要求したとき」に発生します。やなせたかし先生の思想である「自らが飢えた時のつらさ」と「自分の気持ちではない理由(=戦争のプロパガンダを作らせられた)によって行動させられる」を、体現したようなキャラクターともいえるのではないでしょうか。