社会問題が元ネタ? スーパー戦隊で「2度と使われなかった」モチーフ3選
車、恐竜、忍者など、約50年の歴史があるスーパー戦隊シリーズには繰り返し使用されるモチーフがある半面、2度と使われなかったものもいくつかあります。それは、モチーフを映像化しきれず消化不良になってしまったのが原因のようです。
製作陣は、いつの時代も時代の空気を読み取り番組に取り入れてきた

『秘密戦隊ゴレンジャー』の放送開始から約50年が経ったこれまで、スーパー戦隊では車、恐竜、忍者など子供が好きなモチーフが繰り返し扱われてきました。その半面、1作きりで2度と使われなかったモチーフもあります。
使用されなかった理由には、モチーフの映像化やキャラクター化が難しかったこともあるようです。今回は、その後に採用されなかったモチーフのスーパー戦隊を3つ振り返りましょう。
スーパー戦隊第3作の1979年『バトルフィーバーJ』では、モチーフとしてダンスが採用されました。前年の1978年7月にジョン・トラボルタさん主演の『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本でも公開され大ヒットし、空前の「ディスコブーム」が起きます。そのうえ「フィーバー」という言葉がひとり歩きして流行語になり、1978年の水谷豊さん主演ドラマ『熱中時代』の主題歌『僕の先生はフィーバー』もヒットしました。
『東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界』(双葉社)に掲載された吉川進プロデューサーのインタビューによると、当時の東映社長も口癖のように使っていたそうです。
そこから「バトル+フィーバー」=「戦い+ダンス」ということで、「最高の舞踊は最強の技斗として踊りを戦いに活かすヒーロー」が誕生しました。
『バトルフィーバーJ』は「世界各国のダンスのリズムを基礎とした戦闘術を持った5人の戦士」という設定です。バトルジャパンは空手とカンフーを融合させたカンフーダンス、ミスアメリカはディスコダンス、バトルコサックはコサックダンス、バトルフランスはフランスという名なのにフラメンコを基調としたスパニッシュダンス、バトルケニアは南国のダンスを基調としたトロピカルダンスでした。
という風に設定書には書かれていますが、変身した直後にダンスの名残りはあるものの、実際の戦いにはあまりダンスが活かされていませんでした。東映プロデューサー平山亨さんの著書『泣き虫プロデューサーの遺言状~TVヒーローと歩んだ50年~』(講談社)によると、当時の東映社長が第1話の試写を見て「踊りってのは何ごとだ。そんな軟弱なもの」と怒りだし、平山さんはやむなくダンスの部分をカットしたそうです。結果的に、普通の戦隊バトルに落ち着きました。



