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最初は顔出し志望? 特撮2大ヒーロー『ウルトラセブン』と『スペクトルマン』を演じた人物とは

1967年『ウルトラセブン』はウルトラマンとは全く違う、堂々とした侍のような佇まいでした。セブンのスーツアクターである上西弘次さんは殺陣師の出身で、1971年『スペクトルマン』のスーツアクターも担当しています。今回は、セブン、スペクトルマンの2大ヒーローのスーツアクターだった上西さんの活躍を振り返りましょう。

セブンではウルトラマンと全く違う動きを探究

「ウルトラ特撮PERFECT MOOK vol.1 ウルトラセブン (講談社シリーズMOOK)」(講談社)
「ウルトラ特撮PERFECT MOOK vol.1 ウルトラセブン (講談社シリーズMOOK)」(講談社)

 1967年放送の『ウルトラセブン』は円谷プロ、1971年放送の『スペクトルマン』はピー・プロと、この2作は製作プロが違いますが、ある共通点がありました。ひとつは脚本家の藤川桂介さんが参加していること、もうひとつはスーツアクターを同じ上西弘次さんが担当していることです。特撮史に残る2大ヒーローは、同じスーツアクターによって演じられていたのです。

『ウルトラセブン』製作当時、上西弘次さんは『隠し砦の三悪人』『用心棒』などの東宝映画の立ち回りを手がけた殺陣師の久世竜さんに弟子入りします。彼は久世さんが主催する久世七曜会に所属する、アクション俳優でした。

 顔出しの俳優志望だった上西さんは、円谷プロからのオファーを初めは断りますが、3日おきに訪ねてこられて、断り切れずに初めてスーツアクターを務めることになります。

 その後、試写室で古谷敏さんが演じた『ウルトラマン』の動きを見て、ウルトラマンとは違う動きを考え始め、前傾姿勢で掌を開いて構えるウルトラマンに対して、背筋を伸ばしたまま拳を握るセブン独自のスタイルが完成します。殺陣師出身らしく、侍のような佇まいのヒーローが誕生しました。

 特にアイスラッガーを持つ構えは時代劇の影響が大きく、アイスラッガーを逆手で持って戦うのは座頭市の影響だそうです。 最初はイヤイヤ引き受けたセブン役でしたが、演じているうちに上西さんの意識は変わっていきます。

 上西さんを変えたのは、毎日山のように来る子供たちからのファンレターと慰問先の施設の障害のある子供たちの目の輝きです。セブンと握手したとき涙を流して喜ぶ子供たちを見て、子供に夢を与えるスーツアクターの使命に目覚めたと言います。

 そして1971年、ピー・プロダクションが製作する『スペクトルマン』(『宇宙猿人ゴリ』、『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』からタイトルが変更)のオファーを受けたときは、何の偏見も抵抗もなくなって素直に引き受けるようになっていました。

 上西さんはスペクトルマンのスーツアクターだけでなく、敵の猿人ゴリ、部下ラーのスーツアクターと声も担当していました。スペクトルマンはとにかくかっこよくすることを心がけ、ラーは動物園のゴリラの動きを参考にしたそうです。それだけでなく、スペクトルマンが登場するアクションに全て殺陣をつけていました。

 そして『スペクトルマン』の人気を皮切りに、1971年から『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』など、再び特撮番組に注目が集まるようになります。上西さんが主役を演じた『ウルトラセブン』『スペクトルマン』は、特撮番組の金字塔になりました。

 そんなウルトラセブンとスペクトルマンのスーツアクターとして名を馳せた上西さんは、消息を絶ち、のちに「亡くなった」との情報もありますが、没年や晩年の状況などははっきりしません。それでも、上西さんのスーツの勇姿は、永遠に見た者の記憶に刻まれています。

(LUIS FIELD)

【画像】え…っ? デザインは似てないけど… これが同じ人が演じたウルトラセブンとスペクトルマンに共通する姿勢の良さです(3枚)

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