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実写化で話題、『耳をすませば』の近藤喜文監督が残した「希望の灯」とは?

ふたりの巨匠を支えた、天才アニメーター

近藤喜文監督の業績を伝える巡回展が2014年から毎年開催されている。2019年は7月から9月まで、三重県総合博物館で「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」が開催された (C)1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH
近藤喜文監督の業績を伝える巡回展が2014年から毎年開催されている。2019年は7月から9月まで、三重県総合博物館で「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」が開催された (C)1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH

 近藤監督にとって、『耳をすませば』は監督デビュー作であり、唯一の監督作でもあります。1950年新潟県生まれの近藤監督は、宮崎駿監督や高畑勲監督も在籍した「Aプロダクション」(現・シンエイ動画)でアニメーターとして活躍。若手アニメーターの中では、抜群の絵のうまさで一目を置かれていたそうです。

 1978年4月から放送された宮崎監督のTVシリーズ『未来少年コナン』(NHK総合)では、コナンとジムシーとの初遭遇シーンなど、名場面の原画を担当。高畑監督の代表作となった『赤毛のアン』(フジテレビ系)では、弱冠28歳ながらキャラクターデザイン&作画監督に抜擢されます。痩せっぽっちの女の子だったアンが次第に成長し、美少女になっていく様子は目を見張るものがありました。

 近藤監督がスタジオジブリに入社してからは、宮崎監督と高畑監督がますます手放したがらない存在となっていきます。高畑監督の『火垂るの墓』(1988年)では節子の表情をディテールたっぷりに描くことで作品にリアリティーをもたらし、宮崎監督の『紅の豚』(1992年)ではマルコとカーチスとの決闘シーンをユーモラスに描いています。

 近藤監督は普段は口数が少なく、ハードな作業現場でも文句を言わずに黙々と仕事を続けたそうです。長年にわたって作品を支えてくれた年下の盟友の恩に報いようと、宮崎監督がアニメ化を勧めたのが漫画家・柊あおいさんが少女誌に連載中だった『耳をすませば』でした。近藤監督が児童文学好きなことを知っての提案でした。宮崎監督がプロデューサーを務めることで、近藤監督は『耳をすませば』で監督デビューを果たすことになったのです。

暗い世相に希望を灯した「カントリーロード」

「ひとりぼっち おそれずに 生きようと 夢みてた」

 ヒロインの雫が自分で日本語に訳した「カントリーロード」を、聖司が演奏するバイオリンに合わせて歌唱するシーンは、何度見ても心を震わせるものがあります。

 アニメ版『耳をすませば』が公開されたは1995年7月。その年の1月には阪神淡路大震災が起き、続いてオウム真理教による無差別テロ「地下鉄サリン事件」もあり、日本中が暗いニュースに覆われていました。そんな世相のなか、将来の夢に向かって真っ直ぐに進もうとする聖司と雫の生き方に励まされたという人は多かったことでしょう。

 多くの人を勇気づけた『耳をすませば』ですが、次回作が期待され、後進の育成にも積極的だった近藤監督は1998年1月21日、47歳という若さで亡くなります。死因は解離性大動脈瘤でした。近藤監督は自身の肉体を削りながら、アニメーションに命を吹き込んでいたのです。

 実写映画は2020年9月18日(金)に公開されることが決まっていますが、学生時代のキャストなど詳細はまだ明らかにされていません。聖司役の松坂桃李さんは、主演映画『娼年』『孤狼の血』(2018年)や『新聞記者』(2019年)での繊細な演技が高く評価されています。松坂さん本人がまずシナリオを読み、マネージャーと相談した上で出演作を決めています。作品選びの基準は「面白いかどうか」だそうです。
 雫役の清野菜名さんは園子温監督のアクション映画『TOKYO TRIBE』(2014年)で体を張った演技を披露し、気取りのない明るい性格でも人気です。人気アニメの知名度に頼った、安直な実写化にはならないと思われます。

 劇場アニメの公開から25年。雫と聖司は今、どんな道を歩んでいるのでしょうか。ふたりが奏でた「カントリーロード」に励まされてきた私たち自身も、これまでの歩みを振り返る機会となりそうです。

(長野辰次)

【画像】思い出がよみがえる!『耳をすませば』の絵コンテや背景美術(7枚)

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