『ドラえもん』新作映画が今も続く、深いワケ。作者の死後に見つかった「メモ」には…
アシスタントを震わせた藤子・F・不二雄先生のメモとは?

むぎわら先生がチーフアシスタントになって初めての大長編『のび太の創世日記』に取りかかる頃から、藤子・F・不二雄先生は体調が悪化し、自宅や病院で原稿を描くことが多くなっていきます。そして1996年『のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載時には、これまで必ず自らペン入れしてきたドラえもんなどのメインキャラさえ下絵のみで、むぎわら先生に託されるようになりました。
不安に震えながら第1話を描き終えたむぎわら先生に、藤子・F・不二雄先生から一通の封筒が届きます。それは第1話の完成原稿のコピーに細かく修正の指示が入ったものでした。そして最後に添えられた「藤子プロ作品は、藤子本人が描かなくなってからグッと質が上がった」と言われたらうれしいのですが」との一文に、むぎわら先生はただならぬ気配を感じ「せ、先生なんで」「なんでこんなこと書くんだよ」とおののきます。
第2話も藤子・F・不二雄先生の体調は戻らずに下絵のみが渡され、むぎわら先生は第1話のメモの指摘を頼りに原稿を完成させました。そしてチェック時に藤子・F・不二雄先生からかけられた「これだけ描けるのなら、もっといろいろ任せればよかったよ」との言葉に、「本当にうれしくて、優しい言葉でした」と、むぎわら先生は涙しました。それから間もなく、1996年9月23日に藤子・F・不二雄先生は亡くなったのです。
当初、むぎわら先生は『のび太のねじ巻き都市冒険記』はこれで終了だと思っていたそうです。しかし、その時、藤子・F・不二雄先生の自宅から見つかった第3話の下絵のラフとアイディアメモが見つかったのです。意識がなくなる直前まで描かれていたその下絵を前に、むぎわら先生は「ドラえもんは終わらせない」と決意したのでした。
『のび太の月面探査機』(2019年)の脚本を担当した辻村深月先生は、対談でむぎわら先生の当時の話を聞き「大長編ドラえもんは毎年あるのが当たり前じゃない」「子供たちに楽しんでほしいという思いで今年もどうにか、とつないできた歴史」「みんなが大事につないできたバトン」と語っています。
また、大長編シリーズを立ち上げ、「コロコロコミック」第三代編集長を務めた平山隆氏も、後の取材で映画の完成後、劇場で多くの観客を見て「やはりみんな、大長編と映画を楽しみにしているのだ、と思いました。私たちが続けていくことで、『ドラえもん』は、藤子・F・不二雄は永遠に生き続ける」とプロジェクトの継続を決意したそうです。
『ドラえもん』の初期に藤子・F・不二雄先生のアシスタントを務めたえびはら武先生によれば、むぎわら先生が心を動かされた「藤子本人が描かなくなってから……」という言葉は、ウォルト・ディズニーの死後、ディズニー社が業績を上げたという週刊誌の記事を読んだ藤子・F・不二雄先生の昔からの口癖だったそうです。
えびはら武先生のアシスタント時代、藤子・F・不二雄先生はヒット作に恵まれない不遇の時代にありました。それでもその頃から藤子・F・不二雄先生は『ドラえもん』やその他の自作が、いつまでも愛される作品であってほしいと願い、そうなることを信じていたのでしょう。むぎわら先生をはじめとする、その強い思いに魅せられる人たちがいる限り、『ドラえもん』の新作は作られ続けるのです。
※記事の一部を修正しました。
(倉田雅弘)